広告会社とマスコミの関係を丁寧に解説します

広告会社とマスコミの関係を丁寧に解説します

戦前の企業統合の影響

戦前には中小の広告代理店が存在していたものの、総力戦体制下で企業統合が図られることで、現在につながる業界秩序が形成されていきました。

戦前の広告会社の中で大きな3つの会社が萬年社、博報堂、日本広告会社(電通の前身)です。その中でもとりわけ日本広告会社が果たした役割は大きく、広告会社の統合のイニシアチブをとりました。このように戦前の広告業界には新聞統合に類似した現象が起きました。

広告業界が整理・統合されることで広告業界の長年の課題であった広告取引の適正化・近代化が進みました。

広告はマス・メディアの機能にも影響

総力戦体制期から占領期にかけての広告取引の「近代化」が進み、そのことはマス・メディアの発達にも影響します。

復興期から高度成長期にかけて、日本のマス・メディアは多様化します。新聞、ラジオに加え、テレビや出版などが徐々に発達していきます。その中でも民放の設立には電通が深く関与しました。

各メディアの中でも広告収入が大きな収益源となり、自社の中に広告部門を配置するなど広告の存在感が上昇した時代になりました。

テレビの進出で広告は大幅に変容

その中でもテレビが日本全国に普及したことは、広告業界にも大きな影響をもたらしました。1950年代後半から1960年代にかけてテレビの広告が拡大するとともに放送独自の広告取引の仕組みが進化します。

キー局がローカル局から広告枠を預かり、まとめて営業するタイムと呼ばれる広告モデルと番組間に流される広告枠を販売するスポットと呼ばれる広告モデルを中心に広告が変化していきました。

民放キー局の収益はスポット収入により、広告のあり方は民放の業界秩序(ネットワークの形成)に大きな影響を与えました。

広告会社の経営構造の変化

近年のメディアの変化や欧米の広告会社との競争を受けて、日本の広告会社のビジネスのあり方も変化しました。

日本の広告会社は欧米の「1業種1社制」とは異なり、複数の企業を相手先に持つ「マルチクライアント制」を取っています。

この背景には広告会社が「メディアレップ」として生まれ、成長してきたことがあります。メディアレップとは媒体社の広告枠の販売を代行する会社のことです。

メディアが変化を迫られているのと同様、メディアレップとして発達してきた広告会社のビジネスモデルにも変容が迫られています。