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車窓が好きだ。理由はわからない。

車窓が好きだ。理由はわからない。

車窓が好きだ。

正確には

車窓からの眺めが好きだ。

中でも列車の車窓からの眺め。

小走りでやってきた列車はギギッと最後のブレーキをかけ、僕の前で口を開ける。乗り込むと特急電車の独特な香りが鼻をかすめる。

前の駅から乗り込んでいる人がぼちぼちいる。駅弁片手にぼやっと外を眺める若人。早めのビールを開けるサラリーマン。会話が止まらないおばちゃんたち。やっていることはみんな違うけど、一緒に電車には乗っている。一種の運命共同体に僕も加わる。

切符が示す座席とシートの表記を何回も確かめながら、窓際のシートに腰を下ろす。

よしあってるな。

椅子型のシートにどっぷりと腰をかける。最近では列車の椅子もどんどんふかふかになっていて、気持ちがいい。つい浅く座ってしまって、お行儀が悪い人になってしまう。

そろそろと列車はホームを抜ける。僕はキオスクで買ったお茶に一口つける。だいたい、緑茶のことが多い。今回も選ばれたのは綾鷹だった。

出発直後はビルの間をせまっ苦しそうに走っていた特急電車も、気づけば、都会を抜け、のびのびと走り始めてしまう。

コンクリート色の車窓は存在感を薄め、緑色の車窓に変態する。その変態はノスタルジーへの入り口であった。

田んぼ。軽トラ。ビニールハウス。

アクセントは青い空。

僕は田舎育ちではないけど、日本の田園風景にはそこはかとない懐かしさを感じてしまう。DNAに田園風景への憧れが刻み込まれているのだろうか。

都会では存在感の薄かった列車も田園風景では一人舞台である。白い車体に緑の風景がよく映える。

スピードも上がって、その走りぶりは頼もしい。車窓の移り変わりも激しくなって、僕は車窓に釘付けになる。

でも、そこでいきなり逆向きの電車とすれ違って、「うぉっ」となって。でもびっくりするほど車窓に集中していることが、浮き彫りになってしまって、こそばゆい。

窓の方に伸ばしていた腕を少し自分のあごの方に持ってくると、なんだか、自分が偉くなったような感じがする。

俺は移動しているんだ!

一種の全能感が僕を支配する。

ああ、車窓が好きだ。

という思いしか浮かんでこない。なんでこんなに好きなのだろう。わからない。変化し続ける車窓に夢中になりながらも、僕は自分の車窓への偏愛に少しひいてしまう。

偏愛から生まれる全能感に包まれながら、車窓からの眺めが僕を惹きつける理由を考えてみた。

おそらく、僕は絶え間ない車窓の変化に「人生」を見るのである。

人生は時の流れにそって変わり続ける。同じものなんてない。人生の無常を僕は車窓からの眺めに重ね合わせてしまうのである。

だから車窓を眺めることは僕自身、人生を駆け抜けていることと同義なのかもしれない。人生を全うしている。そのことが僕に幸福感を与えてくれる。これが「旅情」なのか。

やはり「旅」は筆舌に尽くしがたい幸福を僕にもたらしてくれる。

「♬〜♬。間も無く高崎にとまります。お出口は右側です」

頼もしさを存分に見せつけていた列車も駅の前にはもう速度を落とさざるをえない。これまでに乗ってくれた人とこれから乗ってくれる人のため、列車はスピードを落とす。

僕はもう少し乗る。車窓への偏愛を深めながら。