日本の映画産業の歴史について解説

日本の映画産業の歴史について解説

1950年代の黄金期とその後の緩やかな回復

映画は1950年代後半に最盛期を迎え、「娯楽の王様」としての地位を確立します。作品数も年間500本と量産され、国民1人あたり年間の12.3回も映画館に足を運びました。

しかし、映画業界はテレビの普及によって急激に斜陽産業化します。映画のテレビ放送を解禁するなど、テレビとの共存政策を進めますが、回復にはいたらず、大手5社の一つ、大映は倒産します。

1970年代には洋画に押され、低迷期が長く続きましたが、1990年以降はアニメ映画の隆盛もあり、緩やかに復調し、現在に至っています。

映画の製作・配給・興行の変化

映画産業は基本的に「製作」「配給」「興行」の三部門から構成されています。日本の映画産業の大手3社(東宝、松竹、東映)はこの三部門をすべて自社で行う垂直統合モデルを基本としていました。

しかし近年では、映画の製作方法も変化しており、従来の垂直統合型から製作委員会方式へと変化しました。1社単独での映画製作が困難になったために映画会社、テレビ局、出版社を巻き込み映画製作が行われるようになったのです。

配給・興行の面でも変化があります。多くのスクリーンを抱えるシネマコンプレックスが普及した結果、作品数が増加しているのです。

インターネット普及に伴い展開方法も変化

近年の映画は映画館のみで興行が完結せず、その後もさまざまなメディアでコンテンツが展開されています。インターネット配信やビデオ・DVD販売はその代表でしょう。

様々なメディアが登場することによって映画産業自体の展開にも変化が見られ、ウィンドウ戦略の練り直しが求められています。

ネット配信も解禁・普及することでウィンドウ戦略にも変化が見られます。