60年前にも拉致問題があった?|「北朝鮮帰国事業」の解説①

60年前にも拉致問題があった?|「北朝鮮帰国事業」の解説①

◆「帰国事業」はなぜ日朝間の「闇」になったのか

1950年代後半から1980年代の初めにかけて、多くの在日コリアンが集団で北朝鮮に渡った。これを「北朝鮮帰国事業」という。

この「北朝鮮帰国事業」は長年、日朝関係の闇として扱われてこなかった。資料も少なく、信頼のおけるソースを元にした研究が行われてこなかったことがその一因として考えられている。

しかし、それだけではない。「帰国事業」が単なる「居住地選択の自由」を保障しようとした「人道事業」ではなく、在日コリアンをめぐる日朝間の駆け引きの結果として招かれた「悲劇」の側面があることも「闇」である要因の一つなのだ。

60年代には「地上の楽園」と謳われた北朝鮮に「自らの意思」で帰国した人々が、その「地上の楽園」で悲惨な生活を送った事実によって、「北朝鮮帰国事業」はただの「人道事業」ではなく「悲劇」になったのだ。

しかも、「帰国事業」は現在進行形の問題として残存している。だからこそ知る必要がある。菊池本によれば、

将来ありうる北朝鮮体制の崩壊・移行の過程で自由な出国が可能になれば、帰国者・日本人妻とその子孫のうち少なからぬ人々が難民や移民として日本にやって来るとも予想されている。

(中略)

冷静のさなかに始まった「帰国問題」と北朝鮮をめぐる深刻な人権・人道問題は、冷戦が崩壊し21世紀を迎えたいまもなお終わっていない。

本稿では「北朝鮮帰国事業」がいかなる背景で実施され、いかなる展開を見せたのかの概略を述べたい。さらに知りたい方は前述の「菊池本」を参照してほしい。

◆「帰国事業」の展開

厳しい「在日コリアン」の現実

「帰国事業」が実施された前提として、「在日コリアン」の存在がある。日本が朝鮮半島を植民地として統治していた1910年から1945年の間に、多くの朝鮮半島出身者が日本に渡った。終戦時の在日コリアンの数は約200万人。その多くが朝鮮半島での経済的な困窮を背景に日本に渡ってきた。

しかし、在日コリアンの多くが日本でも厳しい生活を余儀なくされた。在日コリアンの多くが単純労働者で、住宅の確保でさえ困難を極めた。そこには在日コリアンに対する日本人の差別があったのだ。

戦後、朝鮮半島は日本支配から解放された。しかし、統一政権は誕生せず、朝鮮半島は南北に分断された。在日コリアンは南北のいずれかに帰国するか、日本にとどまるかの決断を迫られたのだ。

終戦直後から46年の3月までで約200万人の在日コリアンのうち、130万人が南=韓国に渡った。残留した70万人に関しても多くが朝鮮半島への帰国を望んでおり、あくまで消極的な理由から日本社会への残留を選択していたのだ。それほど在日コリアンの日本での生活は厳しかった。

1950年に朝鮮戦争が発生する。在日コリアンはこの戦争を日本から固唾を呑んで見守っていた。朝鮮戦争が終了すると荒廃した祖国を憂いた。在日コリアンの帰国願望はより高まることになる。

帰国運動第1期の始まり|「民戦」を中心に

朝鮮戦争真っ只中の1951年1月。東京で「在日朝鮮統一民主戦線」、通称、「民線」が結成された。北朝鮮による半島統一のために全力を尽くすことを規約で明言した、この「民戦」を中心に、「帰国事業」第1期は展開することになる。

「民戦」を中心とする「帰国事業」には二つの側面があった。一つ目は「在日コリアンの帰国願望の発露」である。しかし、荒廃した北朝鮮への帰国願望を持つ在日コリアンは少なかった。より重要なのが「北朝鮮の政策と民戦の運動戦術」という第二の側面であった。

日本政府としても在日コリアンが帰国することに対しては強い期待感があった。在日コリアンが存在することでもたらされる社会問題や経済問題を「帰国」によって解決したいと考えていたからである。

しかし、在日コリアンが北朝鮮に集団で帰国することは韓国との関係を悪化させることに他ならない。日本は北朝鮮に在日コリアンを「追放」することは憚られていた。

民戦を中心とする「帰国事業」第1期は上記のような理由もあり、小規模なものに止まった。

帰国運動第2期の始まり|「朝鮮総連」を中心に

1953年以降、「民戦」が展開してきた帰国運動は55年後半に路線転換する。北朝鮮の指導下でより本格化するのである。北朝鮮の本格的なコミットと日本赤十字社、赤十字国際委員会の協力が「帰国事業」を加速させていくのである。

帰国事業を進めるかたわら、「民戦」は内部対立が激化していた。その中で力を持ったのが韓徳殊を中心とする「民族派」であった。「民族派」は北朝鮮本国との紐帯を深め、その指導を受けるべきであることを主張していた。北朝鮮本国もまた、この「民族派」を支持した。結果的に「民戦」は解散、「民族派」を中心とする「朝鮮総連」が発足することになる。

「朝鮮総連」は朝鮮半島で共産主義社会を実現する朝鮮労働党の党規約実現のための「側面部隊」としての役割を付された。「朝鮮総連」は在日コリアンの中で北朝鮮への帰国願望を持つものを募集しながら、日本政府に帰国への援助を求める活動を展開することになる。

北朝鮮本国としても、帰国問題を通じて日本へ接近し、日朝間の貿易ルート確保、自国の建設に必要な物資や資金導入のルートを作りたいとの思惑があった。日本政府は韓国との関係もあり、帰国希望者を集団的に援助して帰国させる意志はないことを明言していた。

しかし、55年後半になり北朝鮮の帰国者受け入れの明確な意志が伝わるようになると、日本は渋っていた帰国希望者への援助をチラつかせるようになる。

…長くなってしまいましたね。今日はここまでといたしましょう。

次回は在日コリアンを北朝鮮がいかに自分の国へ引き込んだのか。そして帰国運動がいかに拡大していったのかを確認していきたいと思います。以上、編集長のアキでした。