近代と脱近代のはざま、「ボクらの世代」は苦悩する

近代と脱近代のはざま、「ボクらの世代」は苦悩する

「ボクらの世代」は苦悩する

ここでは、1990年年代後半から2000年の前半ぐらいまでに生まれた人たちのことを「ボクらの世代」と呼ぶことにしよう。

僕自身もがっつり「ボクらの世代」だ。

そんな「ボクら」はとっても大変な世代だと思う。なぜか。

それは大きく変化する世界と昔のままの世界とのギャップで苦しむことになると思うから。これを「近代と脱近代のはざま」と表現したいと思う。

そのはざまでちょうど「ボクらの世代」は苦悩する。ボクらはデジタルネィティブ世代だ。物心からデジタルな世界が身近にある世代。でも正直、そんなデジタルネイティブ世代のボクらもデジタルがこんなに急速に世界を変えていっているということについていけていないと思う。

デジタル社会の到来と上下世代

デジタルによって社会が大きく変われば、その社会に必要な人材も変わる。そうすると教育が変わり、働き方も変わる。当然、生活のしかたも変わる。これは近代が終わること=脱近代を意味したりする。今現在、世界と日本はこの場面にいるんじゃないかなと思う。

脱近代になると、終身雇用、偏差値競争、持ち家などの近代がもたらした種々のものや考え方がオワコンの世界に入っていく。

でも、ボクらはデジタルが侵食する世界と近代的なものが残り続ける世界で今を生きている。

ちょうど中学から高校生の時に初めてスマホを持ったボクらはちょうどデジタルと成長してきた。

でも、その一方でボクら世代の上、つまり親や団塊世代はまだまだ近代的な考え方を持ってたりする。当然、大きな企業を子どもには進めるだろうし、育児は女がするものみたいな考え方も持ってたりする。ボクらはその世代を無視することはできないし、小さなころから少なからず影響を受けている。ボクらの世代には多分に「近代」的な考え方が染み込んでいる。

一方、下の世代を見てみよう。ボクらの世代はまだ意識することはないが、下の世代(2000年生まれ以降)はボクらとは全然違うスキームで育っている。

彼らは僕ら以上に、「デジタルネイティブ」だ。終身雇用なんてオワコン。女性が社会で働くのも当たり前。グローバルも当たり前。コンピューターや英語にも強い。そんな世代が新しい世界で今、育ちつつある。

新しい考え方(例えば、終身雇用はオワコン、持ち家なんてありえない、多様性などなど)をボクらの世代も理解しようとはしている。それ自体は素晴らしいことだ。

下の世代はそんな考え方がもともと染み込んでいる世代になるはずだ。上の世代の影響を少なからず受けてしまった以上、ボクらは新しい考え方に少し無理をしても合わせていかないといけない。僕らが30歳ぐらいになったころ、下の世代が社会に登場するのだろう。その時、僕らはまた衝撃を受けるのかもしれない。

そこで苦悩する。新しい社会に順応している下の世代と、まだまだ近代が抜けない上の世代。両方のプレッシャーを受けて、ボクらは人生を歩んでいく。

ボクらは生き方をどう考えるのか

どの世代でも、どんな人でも自分の将来について考えてはきたとは思う。でも、ボクらの世代にはデジタルによる社会の大きな変化がある。しかも、考え方が大きく違う上下の世代に挟まれていたりする。

だからどんな生き方をするのかに当たって、社会の文脈を考える必要が出てくるんじゃないかなと思ったりする。それが「ボクら」世代の宿命なんじゃないかな。では。