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【意思?】「ありがとうございます」と言う自分が信じられない

【意思?】「ありがとうございます」と言う自分が信じられない

生活をしていれば「ありがとうございます」という機会は枚挙にいとまがない。

接客してもらって、会計を済ませて、店を出ようとするとき。

お釣りをもらいながら

「ありがとうございます」

僕がなんで「ありがとうございます」っていうかと言えば、ひとえにいろいろとサービスをしてもらったことへの感謝…

とは言えないもので、心の底からありがとうございますなんていってないんだ。

僕は自分の「ありがとうございます」が自分の本当の感謝の気持ちから出ているものではないことは重々理解をしているんだが、やっぱりそのことを時々に自覚してしまうと、何やっているんだろうと言う気持ちになる。

自分が「ありがとうございます」と言っているのは社会的にそうあるべきであると思われているからだ。

絶対そうだ。

僕は一応「ありがとうございます」と演技をしているのだけれど、中には「お客様は神様」っていう言説に勘違いをして、店員さんに酷い態度をしてしまう人だっている。

最近ではそんな態度にも風当たりが強くなっている。昨今は人手不足のせいもあり、接客業は厳しい状況。だからこそ、店員さんには「優しい態度で接しましょう」という風潮が強まってたりする。

だから、「店員には横柄に接しない」という要請に僕は答える。結局、社交辞令であることを重々承知しながら、「ありがとうございます」を日々重ねるのである。

自分自身の社交辞令が「社会から要請されている」という事実。

だから、もし自分自身が「店員には横柄に接するべきである」と要請されたなら、僕はそういう態度を取ってしまうのだろう。そこに自分の意思なんてない。僕は社会の奴隷になっているのだ。

「社会」は人間にこんな行動をしろよと要請する。人間はその要請を受け入れる。

しかし、それでのは自分の本音というものはどこからやってくるのだろうか?という気持ちになる。

結局、本音はどこにあるのだろうか。社会に振り回されて、結局は自分の本音はどこに言ってしまうのだろうか。

ああ。

今日も僕はこれは自分が心から言っていないというある種の申し訳なさを感じながら、社会の要請に答えるように「ありがとうございます」を積み重ねるのである。