大学生は健全なエリート意識を持とう

大学生は健全なエリート意識を持とう

自分の立ち位置を正しく捉えることは必要です。社会の中で生きていかないといけないわけですから。自分が社会の中でどのような立場にいるのかを「正しく」理解することは自分が社会の中でどのように振る舞うべきなのかを理解することにつながります。

それを踏まえれば、僕は大変な立場にいるように思えます。僕は今、大学生。しかも某有名私立大学の最高峰の学部に所属しているからです。(自分で言うか)

自分が置かれている立場を鑑みれば、高いレベルで徳のある行動が求められているように思えます。それが偏差値競争で優位な立場に立った人間の責務だと思うからです。それをここでは「健全なエリート意識」と呼びたいと思います。

かつて大学というのは一部の究極のエリートしか行けないものでした。しかし、時は令和。みるみるうちに子どもの数は減り、遂には大学全入時代とまで言われるようになりました。

大学というのはもはや一部の特権階級だけが行くものではなくなったのです。しかし、それでも僕は大学生はまだまだ特権階級的なところがあるように思えてなりません。

実際、日本の大学進学率は50%。日本の子どもの半分が大学には進学しません。大学に行けるのは日本の学生の半分なのです。しかも、その大学の中でも上位校と呼ばれるところに進学する人は限りなく少ない。

MARCHと呼ばれる大学群で上位1〜2%、早慶だと本当に一握りの人間しか行くことができないのです。

奇遇にも僕はその「一握り」の人間になってしまいました。高校時代から周りを優秀な人間に囲まれてきた僕にとって、自分が今の位置にいることを当たり前のように感じていますが、俯瞰してみると自分の立場は珍しいポジションです。

現時点でピラミッドの上澄みところにいることは確かです。これは偏差値競争の結果、生まれたものです。

そのピラミッド通りに社会で活躍できるかどうかは別の話です。しかし、少なくとも現時点では、社会で活躍することが期待されています。それが僕に課された運命とも言えるでしょう。

偏差値競争の勝者は社会で活躍することが期待されます。それは社会で活躍する能力があると思われてのことであるし、事実、その可能性は高いと言えましょう。(異論があることは十分に理解しています)

僕は自分自身を「エリート」であると思っています。それは何も偉ぶるために自分をエリートだと思っているのではないのです。

学歴社会が横行する日本で高い学歴を手に入れた人間は、学歴と同時に大きな責任を背負うことになります。

「エリート」として生きていくこと。それは何も中卒や高卒の人を見下し、選民思想を持って、「俺は高学歴なんだ。ふん。」と踏ん反り返って生きることではありません。

東京大学を卒業し、経産官僚を経て、国政進出、国会議員として北方四島を戦争で取り戻そうとした丸山穂高議員は紛れもない日本的な「エリート」です。しかし、彼は間違ったエリート意識を持ってしまった典型です。

「健全なエリート意識」を持つこと。それは深い教養と「知」を楽しむことを忘れないことと定義づけたいです。

大学に入ることは何も就職のために単位を取るためではありません。大学生としてそれなりの時間と自由が与えられたのなら、「健全なエリート」意識を持って、健全に「誇り高く」生きていく。そんなことが必要に思えてなりません。

大学に行くことはたいそう幸せなことなのです。誰もが行けるわけではないのですから。だから、健全なエリート意識を持って、社会に自分の能力を還元する力をつけていくことが必要なのではないかとクソ真面目なアキくんは思うのです。