第5回 ヨーロッパ近代史を政治史の面から読み解いてみよう!【帝国主義の勃興】

第5回 ヨーロッパ近代史を政治史の面から読み解いてみよう!【帝国主義の勃興】

帝国主義外交と世界政治の幕開け 

ヨーロッパから世界へ 

1870年を境に世界のパワーバランスが変化し始めます。ドイツ、アメリカ、日本の新興三国の台頭があったからです。

さて、先述の新興三国に関して述べておきます。

ドイツはヴィルヘルム2世の登場により、覇権的な地位を目指して、海軍を建設します。アメリカは南北統一によって国力をつけ、米西戦争ではフィリピンを領有し、太平洋へと進出を進めていきます。日本は日露戦争に勝利し、南満州鉄道の敷設権を手に入れ、大陸進出への足がかりを作っていきました。 

このようにヨーロッパの五大国により構成される国際社会が世界全体に拡大していくことになったのです。西欧諸国はアジア、アフリカでの植民地競争を活発化させたため、外交を展開する上で、ヨーロッパ以外の地域にも目を配る必要性が出てきたのでした。

この時代は、交通技術の飛躍的な発展のため、グローバル化が発展していました。スエズ運河の開通と蒸気船の発達はその象徴です。科学技術の発展が政治の世界にも大きな影響を及ぼしていたのです。

帝国主義の世界的対立 

イギリスの帝国政策を確認してみます。第二次ディズレーリ時代にイギリスは帝国として拡大していきます。スエズ運河株の買収を契機に、中東やアジアへの影響力を拡大していきます。

イギリスにとってロシアの南下政策はイギリスの中東での権益への脅威でした。そのため、1870年にベルリン会議では自らの権益の保全を志向したのです。第二次アフガン戦争などはイギリスにとって自らの植民地であるインドにロシアの影響力が及ぶことが懸念させるものでした。

 一方、ロシアは南下政策を各地で進めようとしていました。「パン・スラブ主義」を掲げ、フランス資本の導入によるシベリア鉄道の開通など、大陸への膨張主義をとっていました。世界の至るところで「グレートゲーム」は展開されていたのです。

ドイツデェあヴィルヘルム2世は世界規模での植民地獲得競争に参加する「ヴェルトポリティーク」の方針を発表し、世界進出を本格化させていきました。

アメリカの太平洋進出と日本の存在 

1898年の米西戦争を機にアメリカは太平洋国家への歩みを進めます。ヨーロッパ諸国とは異なり、太平洋と中米での勢力圏を作り出そうとしたのです。

1903年にパナマ運河の永久租借権を手に入れたアメリカは太平洋へのアクセスが容易になり、太平洋国家としての地位を固めていきます。

アメリカはアジア・アフリカへの進出が遅れたからこそ、同地域での市場解放を主張します。これを裏付けるのが、ジョン=ヘイの門戸開放宣言です。

この門戸開放宣言は後々、中国での日米の勢力圏をめぐる対決に発展するきっかけになります。1900年ごろにはアフリカの植民地分割は完了し、国際社会では極東問題が焦点になっていた。

1902年には日米同盟が締結されます。これはイギリスがヨーロッパでのドイツとの軍拡競争に疲弊したため、日本に自らの極東での権益を託そうとしたことが背景にありました。こうして日本は極東での大陸国間政治に巻き込まれていきます。