GPAがどんだけ高かろうがそんなの関係ねぇ!

GPAがどんだけ高かろうがそんなの関係ねぇ!

感情が動く季節

すっかり春めいた風の調べが僕らを包む3月上旬。この時期は多くの人が一年で一番感情が動く季節かもしれない。

例えば、受験の合格発表。小学生、中学生、高校生。まだまだ新芽の彼らが全身全霊で目の前の壁にぶつかっていった結果が発表される。

友人の弟さんがどこの高校に受かったとか、塾でアルバイトしている友人の生徒がどこの大学に受かったとか、直接受験に関わっていなくとも、悲喜こもごもの結果を知ることは多い。

他にも卒業式の開催や辞令命令もこの時期だろう。誰もが自分の人生を振り返り、新たな決意を持って新しい環境に飛び込んでいく。

今の日本で本当の一年の始まりは1月1日ではなく3月から4月にかけてと言っても差し支えない。

では、受験も辞令も卒業式も関係ない僕ら大学生はどうか?この時期に感情を動かされるのか?

結論からいえば

感情は動かされる。感情は動きまくる。

それは大好きな先輩が卒業していくからでもなく、バイトで隣の店舗へ移動せよとの辞令(ただのヘルプ)が出るからでもない。

そう。この時期、大学生には一大イベント「成績発表」があるのである。

浜田「成績発表〜〜〜〜〜」

カラス撃退マシーン

次の学年に進めるだろうか。あの必修の授業の評価は?ううう心配。もっと勉強しておけばよかった。

多くの大学生が堕落した自らの過去の生活を省みながら、スマホやパソコンを前にして成績公開の瞬間を待つ。

定刻。10時。みんなが一斉にアクセス!

大学HPのサーバーは多くの学生からの襲撃を受け、瀕死状態。やめて!もうサーバーのライフはゼロよ!

クソ重い大学HPのサーバーを揺すりながら、自分の成績を確認する。

よかったああああ。単位ゲットおおおお。と安堵するもの。

やばいやばい。この成績は親に見せられないいいいいいと隠蔽を図るもの。

多くの大学生がディスプレイを前に自分の過去を見つめ、春からはより授業に真剣に取り組むという儚い決意をする。

と、こんな感じで、大学の成績発表は、のほほんとした大学生活にピリッと喝をいれてくれる数少ない存在なのだ。

僕もみんなの例に漏れず、今日の12時に発表される成績をドキドキで見た。最近ではゼミに落ちたこともあって、ドキドキ感はこれまで以上。ゼミに落ちて、留年までしたなんてことがあってはならない。

パスワードを入力して、エンターキーをたたんと打つ。

よかった単位は落としていない。成績表には「進級」の二文字。留年回避。安心安心。

ホッとしながらベンチに腰を下ろし、スマホの中の成績表をまじまじと見つめた。成績をみると忘れかけていた授業の記憶がおぼろげに浮かんでくる。ふふ。あの教授、意外と優しいじゃないか。

そんな大学の成績表には単位が取れたかどうかだけが書かれているわけではない。授業の評価に加えて、とある数字が記されている。

それが

GPA(Grade Point Average)

である。

このGPA、単位ほど大学生から注目を浴びるわけでもない。しかし、確かな存在感がある。

GPAは平たく言えば、授業の平均評定を数字にしたものだ。GPAは数字で自分の成績を示してくれるので、とてもわかりやすい。自分の成績がどれくらいのものなのかが肌感覚でわかるのだ。

それだけ数字が持つパワーは大きいということである。しかし結論からいえば、このGPAという数字、オワコンである。

オワコンな理由は何かと言えば、大学生はみんな取っている授業がバラバラだから。当然、授業ごとに評価の方法は違うし、成績のつけ方も違う。

単位取得が容易な科目、いわゆる「楽単」ばかり履修すれば、適当に授業を受けて好成績を得ることも可能だし、逆に単位取得が困難な科目、いわゆる「エグ単」ばかりを履修すれば、あまりよい成績を取れないかもしれない。

GPAの数値で両者を比べれば、前者が優秀で後者が優秀でないとなる。しかし、この結論を肯定することはできない。そもそもの評価要素が違うからだ。

僕の話に戻る。僕のGPAはどうだったかと言えば、「3.59」

「進級」

満点が4なので、GPAの数値としてはいい方と言えるだろう。

なんだ自慢か?

そう思われても仕方ない内容だが、もう少し話に付き合ってほしい。

GPAなんてどんだけ高かろうが関係ない。

小島よしお様

受験勉強という偏差値競争の中にいた自分はどうしてもGPAが気になってしまう。だから、GPAが高いとちょっと嬉しかったりする。

しかし、どんだけGPAが高かろうと自分の優秀さなどとは関係ないということは肝に銘じる必要がある。

GPAがどんだけ高かろうと、お金がもらえるわけではないし、ましてはより多くの単位がもらえるわけでもない。もっとかっこいいことを言えば誰かを笑顔にするわけでもない。

GPAが高いということはなんでもないことなのだ。でも、一部の大学生はGPAがどうのこうのということで盛り上がる。自分や友人が優秀かどうかを知りたいジャッジメンタルな大学生からすれば、このGPAこそがその人物が優秀であるかどうかの指標として機能する。

大学に入ってまで「センターの点数何点だった?俺、850点」と受験時代の栄光を引きずっているようで、はっきり言ってクソダサい。(高学歴な人ほどそういう人が多い印象を受ける)

GPAが高ければすごいやつなのかと言われれば違うし、低い人がダメダメかと言われれば違う。ただの一つの指標にしか過ぎないのに、それがすべてかのように思ってしまう人がいるのは大変困ったことだ。

一つの指標を絶対化して、その基準でしか物事を見られなくなること。これが日本の偏差値至上主義の最大の弊害である。偏差値による受験戦争のせいで、大学に入っても、GPAという指標を崇め奉るのは日本の教育が大変残念なものであるとしかいいようがない。

世の中にはいろんな評価基準があって、個人個人で評価基準の重要性が違うのだから、GPAも偏差値もその一つにしか過ぎないのだ。

このことを自分で肝に銘じるためにこの記事を書いた。GPAが高いからって調子のるんじゃないぞ。自分。

しかも、このGPA、なんのために存在しているのかよくわからなくなっている。企業による選考にも影響しないらしく、学内の交換留学などでしか用いられない。全員の成績表にのっけるんじゃなくて、必要な人が必要な時だけ見られるようにすれば、不毛なGPAによるマウントの取り合いも無くなるのだが。

ということで、自分のGPAにあぐらをかき、他の人を見下すことはないようにしよう。たとえGPAが低くても問題ない。GPAは一つの基準にしかすぎないってことをお伝えしたかったのです。

トラトラトラ。本日も晴天ナリ。