おじいちゃんおばあちゃんと暮らしてよかったこと

おじいちゃんおばあちゃんと暮らしてよかったこと

母方の祖父母と20年間ほど暮らした。今は一緒に暮らしていない。二人ともこの世にいないからである。

祖母が3年前に、祖父が昨年の12月に逝った。二人がいなくなってから祖父母と暮らすことについてよく考えるようになった。祖父母との暮らしが当たり前ではなくなったからだ。

思い返してみれば祖父母と暮らすことでよいことがたくさんあった。お年玉はくれるし、小さい頃はおもちゃをたくさん買ってくれた。

しかし、そんなことはどうでもいいと思えるほど祖父母と暮らすことでよかったことがある。それは「死に様」が見られることである。ここで言う「死に様」とは死にゆく中でできることが少なくなっていくことである。

人は死ぬ。これは当たり前のことだが日常生活ではなかなか実感できない。死というのはそれ自体でしか経験のできないからである。

幸か不幸か祖母も祖父も突然死といった類のものではなく、じんわり体が弱り、死んでいった。その中でどんどんできることが少なくなっていった。まず歩けなくなり、続いて食事が取れなくなり、最期は息ができなくなった。

間近で見ると死までの過程は本当に苦しい。この先が崖であるとわかっているのにそちらの方へ歩んでいかざるを得ないからだ。周りの家族もそれをわかっている。悲しいがそれを受け入れて、残りの時間を過ごさないといけない。

この苦しい経験を幸運にも2回も機会も経験した。20歳そこそこでこんな経験ができることは本当に貴重だ。

なぜかと言えば「死に様」を見ると強烈に「生」を意識するからである。「生」を意識することで自分が五体満足でばくばくと飯を食い、グースカピーと寝て、何事もなく起きるのがいかに貴重なことであるかが本当にひしひしとわかる。

風邪を引き、鼻が詰まると、普段意識せずに息を吸い込んでいるのがよくわかる。「死に様」を見ることで「生」を意識するのはこれと同じことだ。

凡庸な結論かもしれないが、間近で「死に様」を見れば、自分の生のありがたさがわかる。自分がどう死にたいのかを意識する。どう死ぬかを意識するのはどう生きるのかを考えるのと同義だからだ。

僕は祖父母の死に様をみて、「生」を実感した。これが人の死を無駄にしないということに他ならないと思っている…のは少し自負が過ぎるだろうか。