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ハイサイおじさんを聞くと僕はまた沖縄に行きたくなる

ハイサイおじさんを聞くと僕はまた沖縄に行きたくなる

歌詞の裏にある意味

「ハイサイおじさん」という沖縄の歌を皆さんはご存知だろうか。とてもリズミカルで聞いていて楽しくなる曲。あの志村けんさんの「変なおじさん」の元ネタになった曲でもある。

「ハイサイおじさん」は、沖縄県のミュージシャン「嘉納昌吉&チャンプルーズ」の代表的な楽曲。

聞いたことのない人はぜひ聞いてみてほしい。きっと気分が明るくなるはず。PVとかめっちゃかっこいい。

僕はこの「ハイサイおじさん」を聞くと、また沖縄に行きたくなる。真っ青な海、明るい人たち。沖縄は南国らしく明るさにあふれている。

でも、僕が「ハイサイおじさん」を聞くと沖縄に行きたくなる理由は沖縄の「陽」の部分だけではない。「ハイサイおじさん」を聞くと沖縄の「陰」の部分が僕の中に突き刺さるからだ。

僕は沖縄に行ったのは2回しかない。でも観光や同世代との交流を通じて、沖縄が「平和」を背負いながら生きていることをひしひしと感じた。

前置きが長くなったが、本題の「ハイサイおじさん」の歌詞について。

ハイサイおじさんの歌詞は聴いていただければわかるがほとんど外国語だ。
何を言っているのか皆目見当がつかない。

でも、甲子園の応援にも使われていたので、昔から知っていた。昨年の6月に初めて沖縄に行く時も、飛行機の中で聞き、気分を盛り上げていた。

でもそこで、僕は何気なくこの曲の意味を調べた。いや、調べてしまった。そこには沖縄の持つ陰が凝縮されていることも知らずに。

「ハイサイおじさん」の「おじさん」はこんな人だった。

「おじさん」はかつて喜納家の隣人であったが、妻が精神に異常をきたして実の娘の首を切り落とし鍋で煮るという事件を起こしたために村八分同然の身となり、以前から交友のあった喜納家に酒を無心に来るようになったのだという。この孤独な「おじさん」との触れ合いの中で「おじさんに歌を作ってあげよう」と思い立った昌吉が生まれて初めて作詞作曲したのがこの「ハイサイおじさん」である。

wikipediaより引用

そう。「おじさん」は端的に言えば、沖縄の過酷な運命に翻弄され、気が狂ってしまった人物だったのだ。

沖縄で感じた影と光

忘れもしない。僕が初めて沖縄に行ったのは2018年6月23日。

ジリジリと照りつける太陽。沖縄の夏は僕らのより早い。まず僕はレンタカーでひめゆりの塔に向かった。その道中、なぜか渋滞にはまった。のろのろと進んでいくと行進する人たちが目に入る。

彼らは誰だろう。何をしているのだろう。ほどなくして彼らが持つ横断幕が目に入る。

そう。6月23日は沖縄慰霊の日だった。たまたまだった。彼らはひめゆりの塔へ向かって歩いていたのだ。70年前に散っていた御霊を鎮めるために。

沖縄は日本で唯一の地上戦が行われた場所だ。目の前で繰り広げられた殺戮。生き残った人でさえ、生まれ育った地で無残に散った自分の仲間の思いを背負いながら生きてきたんだろう。あの「ハイサイおじさん」のように。彼らの歩きぶりは切なく見えた。

2度目に沖縄を訪れたのは2018年の9月。そのときは現地の同年代の学生たちを話す機会が多くあった。

彼らの話ぶりは特徴的だ。沖縄を感じる。沖縄という土地柄、「平和」を強く意識している。否応無く押し付けられた「平和構築」という使命。

きっと祖父母、父母の世代から「平和」について解かれ、価値観として強く持っている人たちなんだろうなとひしひしと感じた。

あまりに大変で終わりのない使命を、沖縄の人々だけに押し付けることは運命のいたずらすぎる。辛い。

沖縄の過酷な運命は今でも続いている。新たな「ハイサイおじさん」が生まれないように、沖縄は自分で自分の運命を切り開いていかないといけないんだろう。

久高島の海

県民投票に際して

沖縄が自らの意思を示す時が迫っている。2月24日、辺野古への基地移設をめぐる県民投票がある。

この県民投票に法的拘束力はない。しかし、そんなことは関係ない。沖縄が自らの運命を自らの力で切り開くチャンスだと思うからだ。

はっきり言って僕は部外者だ。沖縄の人から見ればただの御託を並べている人間に過ぎない。でも、僕は沖縄について書く。

なぜかって、僕は70年前から沖縄が国家の横暴によって過酷な運命を背負わされ続けていることが本当に悲しいからだ。

ただの南国なら僕はこんなに沖縄に惹かれていないのである。

青い海、明るい人たち。沖縄の「光」はもちろん素晴らしい。でも、僕はどちらかといえば影の部分に目がいく。

「ハイサイおじさん」を聞くと、僕はその沖縄の影の部分をひしひしと感じる。だから、僕は「ハイサイおじさん」を聞くと、沖縄に行きたくなる。

沖縄に行って、沖縄の背負っているものを少しでも感じたい。それは政治を学んでいるものにとっての使命みたいなものだ。また行きたいなあ。

戦後70年が経った。今度は沖縄が自らの意志で自らの運命を切り開くことを願っています。

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