いつか幸せについて考えないといけないときがくるんだろうなあ

いつか幸せについて考えないといけないときがくるんだろうなあ

いつなのか今なのか

生きている中で幸せについて考えないといけない場面がくるんだろうなあと思っている。

でも、それがいつなのかはよくわからない。いつ、どこで、どれくらい「幸せ」について考えればいいのかはわからない。それでも、「幸せ」について考える必要があるのは確かだ。

なぜかって。

それは、人は幸せになるための動物だからだ。

でも「幸せってなんなんだろうね」とひとたび口に出せば、周りの反応は「うわ、哲学チック」「くっさww」みたいな感じだろう。

でも、そんな反応する人も心のそこでは「しあわせになりたい」「幸福になりたい」と思っているはずだ。

ただちょっと気恥ずかしいから、真面目に考えるには重すぎるテーマだから、上みたいな反応をしてしまうのではないかなと思ったりする。

僕もこれまでの人生で「くっさww」みたいな反応をしてきた人間のひとりだ。というか、人生の目標は自分のなりたい理想像に近づくことだと信じこんできたので、「幸せ」が究極の人生の目標であることには気付かなかった。というか、目をそらしてきた。

幸せを考えることは必要なんだなあ

僕は今、「幸せ」について考えることはできていないが「幸せを考えることは必要なんだな」とは思えている。

僕は「幸せ」を考えるには時間が必要だと思う。自分にとっての「幸せ」は多分、動的なものだ。つまり、日々を過ごしていく中で幸福は変わっていくものなんじゃないかなと。

でも、その変わっていってしまう「幸せ」の尻尾を掴んで離さないようにするにはちょっとばかり工夫が必要だ。

それにはさっきいった「時間」とそれに加えて「経験」が必要なんじゃないかなと思ったりする。時間かけて経験を積むことで、自分の感情を自分でゆさぶることが必要なのではないかなと思ったり。

自分自身の「幸せ」について考えないといけない瞬間がいつかくるのだろう。僕は地味にその瞬間が今なのではないかなと思ったりする。

大学生には時間がある。経験を積むための体力もある。

将来のためにいろんな経験をすることが必要だよ…なんてことはことあるごとに大人になってしまった皆さんに言われることだ。

より自分が納得できるような職につくために、とか、やりたいことをやって生きていくためにといったようなフレーズは就活市場でもよく目にする。

でも結局、いい仕事につこうとするのも「幸せ」になるためだ。大学生のころに、目先の進路にとらわれずに、その先にあるものを考えられたら、それはとってもステキだと思う。

人生の究極の目標:「幸せ」

いつかは考えないといけないと思う。もしかしたら常に考えないといけないのかもしれない。でも少しの気恥ずかしさで目をそむけてしまったりもする。

それは別にいいのではないかなと思う。恥ずかしいと思っているうちは「幸せ」に向き合っても「幸せ」になれない。なんてね。