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自民党の派閥を知って、日本政治を理解しよう!

自民党の派閥を知って、日本政治を理解しよう!

日本の政治の中心・自民党の派閥

こんにちは。編集長のアキです。今日クローズアップするのは「自民党の派閥」です。

自民党の派閥。それは政治の闇深い世界を象徴するかのような存在のように思われています。

自民党=派閥というイメージを持っている人も多いでしょう。しかし、自民党にも派閥もいろいろあって、いろいろな歴史をたどってきました。

今回はそんな自民党の派閥の歴史をみなさんと勉強していきたいと思います。

自民党の3代派閥

自民党「派閥」の最盛期。それは1980年代から1990年代です。この時代には大きな派閥が3つありました。

「木曜クラブ」「宏池会」「清和会」の3つです。では、この三代派閥のそれぞれの歴史を簡単に見ていきましょう。

「木曜クラブ」の歴史

1980年代後半は「木曜クラブ」とその流れを継いだ「経世会」という派閥が非常に大きな勢力を持っていました。

しかし、派閥の会長だった金丸信の辞職によって、その勢いは衰退します。

その間に「経世会」はさらに名前を変えます。「平成研究会」の誕生です。

名前を変えた「平成研究会」は橋本龍太郎内閣が誕生することで1990年代に力を持つようになります。しかし、その天下は短いものでした。

現在では「平成研究会」はあまり強い力を持っていません。次々と有力な議員が「平成研究会」を出て行ってしまっているのです。。

木曜クラブを受け継ぐ「平成研究会」は現在では人材不足で力がない!

「宏池会」の歴史

「宏池会」は長らく三代派閥の一つとして、大きな勢力を持っていました。

しかし、加藤の乱が2000年に起こり、「宏池会」は分裂してしまいます。その後は「平成研究会」と同じように人材不足に陥ってしまっています。

しかし、「宏池会」には岸田文雄現自民党政調会長の存在があります。ポスト安倍としての呼び声高い岸田さんの存在が「宏池会」の押しポイントです。

「宏池会」も勢力は落ちているが、岸田文雄さんの存在が大きい!

「清和会」の歴史

「木曜クラブ」や「宏池会」と同じように1980年代に大きな力を持っていた「清和会」は1990年代に勢力を拡大させます。森喜朗が首相になってから、4代連続で首相を輩出しました。現在の安倍晋三首相もこの「清和会」の出身です。

しかし、自民党の国会議員の中で「清和会」に入っている自民党の議員が増えたかというとそうでもありません。あくまで「清和会」が強く見えるのは「平成研」や「宏池会」が勢力がなくなったためと言うことができます。

「清和会」は一番勢いのある派閥!

自民党の無派閥議員の増加について

自民党の派閥につい解説してきましたが、実は自民党の派閥の中で最近のトレンドは「無派閥」です。

2017年時点では3割程度の議員がどの派閥にも属していません。ここでは無派閥議員が増加した3回のタイミングを振り返ることで日本の政治を振りかえりたいと思います。

①郵政選挙のとき

1回目は2005年の 郵政選挙の時です。

小泉首相(当時)は「自民党をぶっ壊す!オラァ!」と宣言します。小泉は旧態依然な自民党の象徴:派閥に強い抵抗感を覚えていたのです。小泉によって無派閥であることが推奨され、無派閥議員が増えていったのです。

リーダーの方針によって派閥の勢力は変わることがある

②民主党に政権を取られたとき

2回目は2009年に民主党が政権交代した時です。

自民党は政権を担うことができなくなり、野党になりました。その結果、旧来型の「派閥」解消をする必要がありました。自民党の古い政治の象徴である「派閥」に対する風当たりが強まったんですね。その結果、無派閥議員が増えたのです。

自民党の立場が大きく変わるとき、無派閥が増えた!

③2012年の総選挙で政権に復帰したとき

3回目は2012年の総選挙で自民党が政権に復帰した時です。

この選挙の時、自民党は多くの候補者を公募、すなわち一般の人々から募りました。安倍チルドレン爆誕です。公募で候補者を募ると派閥とは関係のないフレッシュな面々が集まることが多いです。

その結果、2013年に無派閥派の割合は36.7%にまで達しました。2012年の当選組が派閥に加入するようになると、その割合は低下することになります。それでもかつてよりは多くの議員が無派閥を選んでいることになります。

議員を公募で集めると無派閥が増える傾向にある

歴史編は以上になります。

自民党は「派閥」だ!みたいなステレオタイプな思い込みが外ればいいなと思います!それでは!

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