何となくのイメージで悲観的にならないようにしよう

何となくのイメージで悲観的にならないようにしよう

感情を支配するマスコミ

人は感情を元に行動する。外からの情報を知り、解釈し、判断する。その過程の中で感情が芽生える。この感情こそがその人の新しいアクションを促してくれる。情報の価値は、その情報を得た人が新しく行動しようとするかにかかっている。

情報を得るための手段として、大きな幅を効かせているのが新聞やテレビなどのマスコミだ。スマホの登場によって存在感はかつてほどではなくなったが、依然として、情報伝達手段として、空間を支配している。

マスコミが発信する情報がどのようなものかによって、僕ら一般の人間の興味関心や知識が左右される部分もある。マスコミは僕らの脳を間接的に支配していると言っても過言ではない。

マスコミが何をどのように伝えるのかによって、人々の頭の中は変わる。もしマスコミが伝える情報が間違っていたり、偏っていたりすれば、人々は誤った感情をもち、行動しようとするかもしれない。これは社会の不安定化をもたらす大変危険な状況だ。

強調されすぎた「交通事故」の悲惨さ

この危険な状況が起きるのではないかと最近感じている。それは交通事故に関するニュースの多さが原因だ。

痛ましい交通事故が続いている。飯塚幸三、通称「上級国民」による池袋での母娘死亡事故。滋賀県大津市で散歩中の園児の列に突っ込み、園児2人が亡くなった事故。

どれもとてもセンセーショナルな事故だ。連日、報道され、多くの同情を呼んでいる。と同時に、高齢ドライバーによる事故が社会問題化していることも強調されている。

あまりに交通事故関連の報道が多いから「最近事故多いわねぇ」「そうねえ」と井戸端会議に精がでるおばちゃん諸君も多いだろう。

しかし、実際は日本での交通事故の発生件数も、死亡者数も減りまくっている。それぞれの事故が大きく扱われるがゆえに、人々が歪んだイメージを持ってしまっている可能性は高い。

歪んだイメージを持たないためには全体をみることが大切だ。しかし、報道はどうしても興味関心を引こうとより感情に訴える内容を僕たちに伝えてくるので、一つ一つの事例に固執するよう仕向けてくる。

データをみることが必要なのは、報道による感情の支配から逃れるためだろう。自動車教習所の教官から交通事故での死者数が減りまくっていることを教えられた時だった。

時事通信 ドットコムより

一つの事例が過剰に報道されることで、人々は歪んだイメージを持ちがちだ。僕も報道で多くの事故映像を見ることで、てっきり日本における交通事故の数は増えているものだと思っていた。

だから、交通事故社数が減っていることを知らされた時、僕は目からウロコが落ちまくった。

例外の危険性

僕らはデータからはみ出た例外を持ち出されて、そこを執拗に責められてしまうと、社会で何が起こっているのかを見逃してしまう。

確かに一つ一つの事故を見れば悲劇だ。全体を見れば、交通事故はゆっくりと改善している。交通事故を減らそうと懸命に努力する車メーカーの人たちや警察の方の努力があってこその話だ。

一つの事例を取り出して、間違った印象を持つと、努力している人たちに間違った感情を抱いてしまう可能性がある。

「なんで事故が減らないんだ!車メーカーはしっかりしろ!」「警察はもっと啓発運動をちゃんとやれ!」

こんなセンシティブな意見は耳目を集めやすい。しかし、事実に基づかない意見こそがより社会の中におかしな風潮を持たせてしまう。

昨年、バカ売れした「FACTFULLNESS」もこのことを(やや饒舌)に述べた本である。世界の約8割の人が電気が使えているし、女子で大学に行けるのは6割にも登る。同書はそう指摘する。

データを見れば、実際に社会で何が起こっているのかがわかる…とまでは言い過ぎかもしれない。しかし、全体を俯瞰してみることで、間違ったイメージと間違った感情を持つことは避けたほうがいい。