非公式な放送規制について詳しく解説!

非公式な放送規制について詳しく解説!

この記事では日本の放送規制について詳しく解説しています。従来の放送規制は世界的に見て厳格な程度までに内容規制を回避してきたと言われていますが、放送番組に対して非公式な「介入事例」はしばしば起きています。

これを踏まえ、戦後、日本の放送に対していかに内容規制が行われていたのかに関して解説していきます。

戦後日本の放送規制の特徴

戦後日本の放送規制は独任制の行政庁が規制を担当してきました。

放送局を開局するにあたり、事業者は免許交付を受ける必要があり、複数の事業者が開局に乗り出している際には一本化調整が必要でした。この調整には国会議員や県知事などが関わり、放送事業者との密接な関係が出来上がっていました。

1950年代から一本化調整が始まり、当時の田中角栄郵政大臣が主導して、1957年に一斉に予備免許が交付され、1960年代から1970年代にかけては地上テレビ放送への激しい参入競争が起きて、一本化調整が激しくなりました。

一本化調整によって、政界と放送局との間に強い関係が築かれた結果、その後の放送規制に対しても政界からの非公式な影響力が行使されるに至ったっと考えるべきでしょう。

非公式な影響力が行使されていたために、構造規制、内容規制とも公式な形での効果は限定的でしたが、放送規制が「緩やか」であったとは言うことができません。

行政に大幅な裁量を与えた構造規制が存在したからです。

構造規制を背景に政権与党・規制当局と放送業界との間に長期的関係が構築され、「自主規制」が継続されました

戦後、非公式な関係下で番組への非公式な影響力が行使されてきました。政権与党が行政処分や行政指導を経ずに、非公式な形で番組内容に対して影響力を行使する事例が数多く存在しています。

特に1960年代から1970年代前半にかけて、政治的な争点を扱った番組に対して、政権与党が非公式な形で影響力を行使するケースがしばしば表面化しました。

近年の状況

政権与党が従来と同様の経路を通じて、放送事業者(特に民法)、あるいはその番組に対して影響力を行使することは困難になりつつあります。その背景としては行政手続きの適正化の中、一本化調整のような行政手法が取りにくくなったこと、地上テレビ放送市場が飽和し、参入調整を通じた影響力行使自体が困難になったこと、多メディア化によって放送メディアのボトルネック性が薄れつつあったことなどが挙げられます。

代替手段として規制強化の試みがなされました。1985年から番組内容に対する行政指導が行われたり、行政処分の新たな区分である「再発防止計画」が策定されたり(2007年放送法改正案・削除)、情報公開を通じた番組調和原則の実効性担保(2010年放送法改正)がなされたりしました。

放送制度のあり方を考える上では規制の持つ影響力を多角的に考慮する必要があります。構造規制に関しては、ハード面に関する規制が本来の制度設計とは異なる形でのソフト面(番組)に影響を及ぼさないような制度設計が求められます。最近では行政的規制に代わり、第三者機関(BPO)による事後チェックが実施的な規制を担いつつあります。