議論をする意味は何なのか?

議論をする意味は何なのか?

大学では議論をするサークルに所属している。今回はこの「議論」について2年間、真摯に「議論」に向き合ってきた。

その2年間で得た「議論」とは?について少し述べたい。

議論をする意味は何なんだろうか。議論は勝負をつけようとするものではないから、結論がふわっとしたものになりがちだ。結論がふわっとするとやる意味を見出すことも難しくなる。

僕が思うに、価値観の深掘り大会が議論の場だ。自分が何を考え、他の人が何を思っているのかを知ること。これが議論の本質だ。

ディスカッションでは自由に発言することができる。誰かが誰かを打ち負かすことを目的とはしていない。勝負をつけることが目的ではないのだ。

議論をすること。それは普段はなかなかしない「言語化」を強制的に行うこと。と、同時に、他の人の意見を嫌でも聞ける場所でもある。

まさに一石二鳥。議論は知的にとても効率のよい方法だ。

言語化は今の時代、とても必要なスキルだと思う。自分がどう思っているのか。なぜそう思うのか。どうしたいのかを語れる人は信頼される。信頼はつながりを生む。つながりが大切な時代なのは言うまでもない。

と、同時に議論では他人が何を考えているのかがわかるのだ。この記事でも言ったが、人は客観的になることができない。

だからこそ、人の意見を聞くことが必要なのだ。議論を通じて、自分の意見は議論の場に提出される。提出された意見は参加者の注目を集める。なぜそう思うのか。根拠はどこにあるのか。議論の場次第では厳しい風雨に晒されることになるだろう。しかし、そうして他者に揉まれた意見は強い。自分が何となく言った意見も他者の目線を入れることによって、自分の幹となるような価値観を作ることさえできる。他者の目線を入れることは本当に大切だ。

自分の欲しい情報ばかりに触れてしまうのが現代社会だ。情報化とサーキュレーションサイトの発展には功罪があるが、罪の部分は間違いなくここだろう。

ディスカッションは情報のエコチェンバーかを防ぐほとんど唯一の方法といっても良い。

自分の価値観の深掘りと他者の意見を聞くことによる自分の意見の相対化。議論を通じて得られるものは大きい。しかし、この二つを達成できる議論の場を作るのは本当に難しい。どうすれば作ることができるのかについては別の記事に譲ることにする。