韓国の民主化と盧泰愚政権では何があった?

韓国の民主化と盧泰愚政権では何があった?

この記事では1990年代の朝鮮半島について扱っています。主なトピックは、

  • 韓国の民主化と第六共和国の成立
  • 盧泰愚政権の発足
  • 金日成の死去と体制移行

です。時代としては1980年代後半から1990年台前半にあたります。わかりやすく解説しますので、よろしくお願いいたします。

韓国:民主化と第6共和国の成立

1987年に韓国は民主化を達成します。それまでの権威主義的な政権から民主体制へと移行したのです。民主制に移行するにあたって、憲法改正が行われます。これが第6共和国憲法です。

 第6共和国憲法(1987年10月)成立=現行憲法

第6共和国憲法は1987年10月に施行されます。韓国においてはこれまで9回の憲法改正を行なっていますが、この第六共和国憲法が現在の憲法で、これまでの憲法の中で最も長い期間使用されている憲法になります。

この第六共和国憲法で定められたことは現在の韓国の政治体制を決めています。その主な内容は

  • 大統領は直接選挙で選ばれること
  • 大統領の任期は5年で再任はできないこと
  • 大統領には非常措置権が決められていること
  • 国会解散権は廃止されたこと
  • 国会権限が強化されたこと(国政監査、予算審議・確定などにて)
  • 憲法裁判所の存在(違憲審査、弾劾審査、政党解散審判)

です。特徴的なのは大統領権限をこれまでよりも相対的に縮小して、憲法裁判所と議会の権限を強化したことです。しかし、それでも韓国の大統領権限は他の国と比べて、非常に強いものです。

第13代大統領選挙:「一盧三金」

第6共和国憲法が制定され、民主化政権の誕生が叫ばれました。その中で1987年12月大統領選挙が行われます。ここでは民主化後最初の大統領選挙となった韓国第13代大統領選挙の内容を確認します。

盧泰愚第13代韓国大統領

韓国大統領選挙は第7代選挙から直接選挙制で選ばれており、この第13代選挙も直接選挙制によって行われました。

この大統領選挙の構図は、「民主化勢力 VS 盧泰愚」というものでした。「民主化勢力」とは、韓国の民主化を声高に叫び、結果的に韓国を民主化に導いた政治家とそのグループを言います。

民主化勢力の有力政治家も次々と大統領選挙に立候補します。「三金」と呼ばれ重要な3人の政治家:金泳三、金大中、金鐘泌です。しかし、これは裏を返せば野党は分裂していることを意味しました。野党分裂はこれは盧泰愚を利することになります。

盧泰愚は元軍人であり、軍人出身の大統領候補でした。「軍人出身」ということからもわかるように民主化勢力にとって盧泰愚は旧体制の候補でした。

こうして「民主化勢力 VS 盧泰愚」の構図ができあがったのです。

選挙結果

盧泰愚と「三金」によって争われた結果は、野党分裂もあり、結果的に盧泰愚が勝利します。36.6%という低い投票率でした。候補者と得票率は以下のようです。

  • 盧泰愚 36.6% 
  • 金泳三 28% 
  • 金大中 27%
  • 金鐘泌 8.1%

こうして民主化後の初めての選挙は、軍人出身の盧泰愚が大統領に就任する結果となりました。続いて盧泰愚政権がどのような政権運営を行なったかを見ていきます。

三角の一人:金鐘泌

盧泰愚政権の発足

盧泰愚政権発足直後、第13代総選挙が行われます。総選挙とは韓国における議会選挙のことです。1988年4月26日に実施されたこの選挙では、与党が敗北します。盧泰愚政権は発足直後から厳しい運営を迫られることになるのです。

日本で言う所の「ねじれ国会」の状況を韓国では「与小野大」と言います。与党が少数派で野党が多数になることを表しています。

この総選挙で存在感を強めたのが大統領選挙にも出馬した「三金」の政党です。この「三金」は今後、韓国政治の中心となっていきます。

三金の一角:金泳三

 この総選挙の結果、韓国政治は三金と盧泰愚が主導する与党の4つの政党が中心になっていきます。ここで明らかになったのが、韓国の地域主義です。

地域主義に関しては以下の記事も参考にしてください。

盧泰愚政権の政策

苦しい政権運営となった盧泰愚政権。まず着手したのが民主化以前の韓国政治の負の側面を暴き出すことでした。「三金」をはじめとした民主化勢力に配慮した形です。

これを「5共非理清算」と言います。「5共」とは「第五共和国」のことです。第五共和国での道理に合わなかったことを清算しようというスローガンが掲げられました。

具体的には全斗煥前大統領のもとで行われた民主化運動弾圧での政府の暴力をあばき出し、責任を追求しようとするものでした。このために国会特別委員会が作られ、その担当弁護士として政府を厳しく追求したのが後の大統領、盧武鉉でした。

盧泰愚政権は外交面で大きな成果を出します。盧泰愚政権の外交方針は「北方外交」と呼ばれるものです。ソ連と中国と相次いで国境を樹立したのです。これは韓国史上、もっとも大きな外交史上の出来事であったと言われています。

冷戦も終結に向かっていた1987年に韓国が共産圏の国々と国交を樹立したことは大きなインパクトを世界に与えました。とりわけ北朝鮮には非常に大きな失望とショックを与えました。

北朝鮮からすれば自らの親分である中国とソ連が敵国である韓国と国交を結び、友好国となったのです。北朝鮮にとっては、自らの国際社会の中での孤立をますます意識させる結果となったのです。

それに加えて、1987年7月7日に盧泰愚は「七・七宣言」を発表します。この宣言は盧泰愚による画期的な南北統一に関する宣言として受け入れられました。

その内容は以下のようです。

  1. 南北同胞間の交流や在外同胞の交流促進 
  2. 離散家族への支援 
  3. 南北間の交易促進 
  4. 非軍事的貿易に関して北朝鮮と韓国の友好国が行うことの促進 
  5. 南北が国際舞台での外交促進 
  6. 北朝鮮が日本やアメリカとの関係改善を行うことを韓国として支援する

これを受けて北朝鮮も韓国との対話に応じるようになります。南北総理級会談が開催されたのです。北朝鮮も冷戦終結間近の苦しい時期で韓国との対話に乗り出す必要がありました。

盧泰愚がこの宣言を発表したのも韓国が北朝鮮との体制間競争に完全に勝利したことを印象付けました。朝鮮半島の統一という盧泰愚の究極的な目標を反映した宣言だったのです。

「七・七宣言」から始まった南北の融和ムードは91年の南北基本合意書と南北非核化共同宣言という二つの文書にまとめられることになります。これらの同意書では現在の分断状態は統一に向かう上での特殊な関係に過ぎなく、その関係を解消するためのプロセスが進行しているとの考えに基づいています。

南北の和解ムードは93年の北朝鮮核開発疑惑によって水を刺される形にはなりますが、和解ムードの中で締結した合意書は現在でも大きな影響力を持っています。

三金の一角:金大中

盧泰愚政権まとめ

民主化後初の政権となった盧泰愚政権は少数与党として苦しい政権運営を迫られましたが、民主化勢力に一定の配慮をしつつ、外交を成功させるなど一定の成果を出しました。

初の文民政府という民主化勢力にとっての悲願は次の第14代大統領選挙に託されることになったのです。