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【晩秋の小樽】なぜ小樽は人を惹きつけるのか?

【晩秋の小樽】なぜ小樽は人を惹きつけるのか?

【レトロ】が振りかけられている街・小樽

札幌から電車で約40分。列車は札幌市街を抜けて、日本海のギリギリを通る。僕らを待っているのは港町・小樽である。

小樽は街のあちこちに【レトロ】のくさびがささっている。

列車を降りれば、ホームにはかつての駅名看板がひっそりと置いてある。改札を出て振り返ってみると昭和を体現したような駅舎。昭和ーいやもっと前のことなのかもしれない−の陳列会である。

小樽の象徴・小樽運河に向かって歩いていっても、街並みにはこれでもかと【レトロ】がふりかけられている。レトロを感じ、レトロを写真に収めているともう目の前には運河が迫っていた。

北海道開拓の外港として多くの人が行き来した小樽には往年の運河の姿が健在である。小樽観光の目玉ももちろんこの運河だ。

【レトロ】とは昔の人の美意識である。

【レトロ】はただ単に古いことを意味するのではないと僕は思うんだ。「古い」と「レトロ」は違う。

じゃあ【レトロ】ってどんなことなんだろうか。その答えは簡単に探し出せるものではないんだと思う。レトロってのはただ古いだけではない。【レトロ】を【レトロ】にさせるものがある。それは後世に残したいと思う【現代の美意識】ではないかと思うんだ。

「今のレトロ」は「過去の現在」であった。そこから月日がたち、多くの人たちが「昔の今」を「今のレトロ」として残してきた。

昔の最先端を今は古めかしいものとしてありがたがっているなんて。なんだか不思議で晩秋の小樽で僕はついふっと笑ってしまう。

運河に到着

運河についた。

まだまだ日が昇っていて、川面に映る倉庫たちも控えめである。

小樽の街を一周して帰ってくると、日は落ちていた。

わざと設置されたような街灯も主張が激しくなる。街灯と歩を合わせるように川面に映る倉庫たちの主張も強くなる。観光用の渡し船がかつての小樽の姿を健気に再現しているよう。

小樽は観光地になってしまった。観光地になってしまうと人が増えて、情緒がなくなってしまう。でも観光地になったからといって小樽自身の価値が落ちるわけでもなんでもない。

運河を中心にして、小樽の街には多くのレトロが今でも生きている。

先人たちが「美しい」と思ったことが、今に「レトロ」として残っている。そんな街が小樽だ。

ここでふと思った。

僕は小樽には縁もゆかりもない。そんな僕が小樽の昔を今に伝えた人の努力や小樽自体の歴史に思いを致すことなど無粋極まりないのかもしれない。

しかし、ただ一つ言えることがある。小樽は自らの歴史によって輝いているということである。