よい議論の場を作るのに大切な2つのポイント

よい議論の場を作るのに大切な2つのポイント

よい議論とは何だろう。新しいアイデアがいっぱい出ること。自分の意見が押し通ること。相手の意見を丁寧に聞くことなどなど。

いろいろあるだろう。しかし、議論の場の中で共通して最も大切なこと。それは心理的安全性を確保し、意思なき共感を排除することだ。

今回はこの二つ、すなわち「心理的安全性の確保」と「意思なき共感の排除」がいかに議論の場で大切かを解説していきたい。

心理的安全性を確保すること

「心理的安全性」とは、議論の場では自分が何でも言っていい雰囲気が参加者の中に共通認識として共有されていることを言う。

議論の場では時折、めちゃくちゃ声がデカかったり、自分の意見が最も正しいことを押し通そうとする奴がいる。

気が弱かったり、自分の意見に自信が持てなかったりする人はそんな輩に負ける。その結果、デカ声野郎や独善野郎が正義の味方ぶって、自分の意見を崇拝しようとせしめる。

そんな議論の場は議論の場ではない。自分の意見や主張をいかに大きな声で言うのか大会だ。そんな空間とっとと出ていってしまおう。

心理的安全性を確保すること。それはメンバー全員が「ここならどんなこと言っても大丈夫」と思えること。

これを実現すれば、もう余裕だ。

意思なき共感を排除すること

意思なき共感は主に女子高生の会話でよく見られる現象である。

「スタバの新作飲んだぁ?」「うん。飲んだあぁぁぁ」

「まじぃぃぃ、超ウケるんですけどぉぉぉぉ」「てか、ゆーてワンチャンあるでしょぉぉぉぉぉ」

と何がワンチャンあるのか僕にはよくわからないが、とにかく彼女らはとにかく相手を肯定しまくり、言い方は悪いかもしれないが、生産性のない会話を続ける。

日常生活の雑談レベルでこのような会話をするのはまったくもってよろしい。むしろこのような雑談ができない筆者の私に問題がある。

それにしても、上でいったような会話には「意思なき共感」がしっかりと存在している。

意思なき共感。それはなんとなく、思考停止して、違和感があっても一歩踏み出せずに、なんとなく「私も賛成です」といってしまうことだ。

みんながイエスマンになってしまえば、結局はさっきも言ったように声がでかいやつとかいかにも自分議論できます風に装っている人間の意見がまかり通ってしまうことになる。

それでは議論をする意味がないではないか。多様な価値観をもった人間が集まることによって、意見は洗練され、新しいレヴェルへと昇華されるのである。

まとめ

結局、人間にとって、議論とは享楽なのだ。自分がなんでも言っていいという空間が保持されていたらならば、みんながみんな一家言あるはずなのだ。その一家言をみんなの前で披露することはきっと楽しい。

僕だって20年そこそこ生きてきた中でもってきた自分の考えがある。それを大切に鑑みればいいだけである。

参加者全員が心理的安全性をもって、議論の場から意思なき共感を排除することで議論の場はきっとうまくいく。なんでも言っていいんだという雰囲気。そして自分が言ったことがなんとなく賛成されるのではなく、しっかりと他の人の意見に揉まれること。これだけだ。議論の根底に流れているのは意見が議論の場に提出された後、しっかりと他者の意見に揉まれて自分のところに戻ってくる。今風にいえば「フィードバック」することなのだ。

心理的安全性と意思なき共感の排除。これによって理想の議論の場を作り出してほしい。