「政治的中立」であるにはどうすればいいのか

「政治的中立」であるにはどうすればいいのか

「政治的中立」アップデートのための試論

政治的中立とは主に義務教育の場で先生たちに求められている姿勢です。教師は特定の政治思想に肩入れすることは許されていません。

その結果、政治教育は特定の政治思想を教え込むわけにもいかず、事実だけを教えるようになっています。

私はこの政治教育に非常な疑問を持っています。なぜなら政治の面白いところは衆議院の定員とか三権分立にはないからです。

政治の面白さは違う思想を持った人たちのガチンコバトルです。こんなに人間の汚い部分が見られる世界はありません。

しかし、この面白さを伝えるのは今の政治教育では難しい。「政治的中立」のしばりがあるからです。

法律に定める学校は、特定の政党を支持し、又はこれに反対するための政治教育その他政治的活動をしてはならない。

教育基本法 第14条 第2項

そこで僕は「政治的中立」をアップデートする必要があると思っています。

この記事は「政治的中立」を担保しながら、政治の面白さを社会で共有するにはどうしたらいいのかについての試論です。

僕が政治的中立にこだわる理由

「政治的中立」という姿勢を現在の「思想を排除して事実だけを教える」からアップデートする必要があると思っています。

どのようにアップデートするか?

それは

出来るだけ政治に対する多種多様な意見を出しまくってから自分の賛否の意見を育てていく

みたいな感じです。

特定の問題について可能な限り多くの側面を提示し、議論することで個人同士の価値観の差が明瞭になります。

どことなく熟議民主主義の手法に似ていますね。

具体的に説明しましょう。

例えば「安倍政権を支持するか支持しないか」という議論を設定したとします。

当たり前ですが、参加者の中で支持者も不支持者もいるだろうから議論は紛糾します。

そこでまず議論の順番を変えて「安倍政権のいいところ」を徹底的に挙げてみます。この議論には安倍政権を不支持する人も参加しなくてはなりません。

次に「安倍政権の悪いところ」を徹底的に議論の場に提示する。もちろんこの議論には安倍政権を支持する人も参加する必要があります。

この2つのステップを経てからでないと賛否の分かれる「安倍政権を評価するか否か」の議論を行わなくてはならないと考えます。

私はこれらの一連の議論が政治的中立性を失っているとは思いません。多くの側面を確保しようとする姿勢こそが「政治的中立性」の発露だと考えるからです。

「政治的中立」とは事実や構造のみに注目する姿勢ではありません。可能な限り情報をとってから判断をしようとする姿勢こそが政治的に中立だと思うからです。

まとめ:健全な「政治的中立」を

いたずらに政治的に中立であろうとするとむしろ政治的な話を避けてしまいます。なぜなら中立であろうとすることの難易度が非常に高いからです。

そこで政治的中立なんてかなぐり捨てて自分の思想を鍛えるための方策を考えるのもいいのではないかといった意見も考えられるかと思います。

しかし、僕はここではあえて理想論的な立場をとってみたい。なぜなら政治とは社会の理想を考える営みだからです。

その世界戦では正面から健全に政治的に中立的な立場を取る必要があります。その健全な「政治的中立」の立場を実現するためにはどうすればいいのかについてはこれまで述べたとおりです。

「政治的中立」という一見「キレイな言葉」を使って、自らの姿勢をぼやかし、常識人ぶった姿勢を見せることは「政治的中立」を盾にとった欺瞞に過ぎない。

その欺瞞に立ち向かうには正面突破しかありません。着実に情報を蓄え、多くの側面から物事を理解しようと試みる。その姿勢を周りの人間に広めていく。

こんな地道なことできるかなんて言われそうです。しかし、この姿勢は何も政治的素養に限った話ではありません。知的な人間として生きていこうとするなら当然の姿勢です。