ダイナミック!19世紀アメリカ政党政治の歴史とは?

ダイナミック!19世紀アメリカ政党政治の歴史とは?

この記事では19世紀のアメリカの政治史について詳しく解説しています。この時期のアメリカ政治は政党を中心に動いていきました。この時期のアメリカの政党政治の流れを確認していきましょう。

戦後政党政治の不安定性

共和党の抱えた困難

南北戦争からの再建が区切りを迎える1880年代にアメリカの二大政党制は大きな危機を迎えます。二大政党が持つアイデンティティが不明瞭になったためです。

特に共和党は党是だった奴隷制の廃止を実現してしまったため、党の存在意義が問われ、歴史的な役割は終わったとさえ言われる事態になります。

一方の民主党は南北戦争後、ジョンソン大統領の支援を受けて、南部での一党支配を確立しました。南北戦争を引き起こした反逆政党としてのレッテルがまとわりついたものの共和党よりは順調な党運営を行っていました。奴隷制が廃止されたことでそれまでの奴隷が解放され南部の人口が増加したからです。これにより大統領選挙人の議席配分においても南部にそれまでよりも多くの議席が配分されるようになりました。

南部が民主党によって独占的に支配されてしまうと共和党は議会での多数を維持するためには北部での圧倒的な優位が必要になります。具体的には北部で8割の議席が必要でした。共和党は非常に大きな危機感を持つようになります。

しかしその共和党も南北戦争からの再建を行おうとするとき党内が分裂してしまいました。古典的な自由主義による行政改革、金本位制への復帰、自由貿易を掲げるリベラル派は1872年にリベラル・リパブリカン党を結成し、共和党と袂を分かちました。しかし、このリベラル・リパブリカン党は民主党の綱領を丸々呑んでしまい、事実上の民主党勢力となってしまいます。共和党出身者が民主党に入党するようなもので当時の二大政党制がいかに流動的かを示すものと言えるでしょう。

二大政党間の拮抗状況の現出

南北戦争から一定の時間が経過し、市民たちの政治的関心は戦時ではなく平時の政権運営がいかに行われるかに移っていきました。

共和党は世論に訴えるため南北戦争を通じて奴隷制を廃止した功績をひたすらにアピールします。戦争の時の功績をひたすらに強調したので、この時期の共和党を「血染めのシャツ振り」を行ったと表現します。

一方の民主党は南北戦争で北部に反旗を翻した反逆政党との汚名を覆そうと活動を開始しました。民主党は独自の方針は目立たないものの、南北戦争後に大量に流入した移民の支持を取り付けたことで徐々に復活を果たしていきました。

結果的に北部で共和党、南部で民主党が圧倒的な勢力を誇るようになります。アメリカ全体で見ると二大政党の勢力は見事に拮抗していました。共和党は大統領選挙と上院で強さをみせる一方、民主党は下院の多数を占め、政局の調和が見事に取られていました。結果、この時期は長期間、連邦議会はねじれの状態となりました。

しかし、この時期の二大政党制は現在でも非常に悪いイメージで語られています。どちらの政党も相手を出しぬこうと党利党略に走り、汚職が蔓延した時代だからです。

当時の人々は南北戦争後の政治に対する期待値が非常に高く、クリーンな政治を求める厳しい姿勢があったものと見られています。

第三党の挑戦と世紀末の政党再編

第三党の挑戦と挫折

二大政党が改革にもたつく中、第3党が生まれてきたのは必然でした。産業構造の変化と経済の全国化に伴う社会改革運動を追い風に多くの第3党が生まれました。

特にこの時代は農民に大きな不満が蓄積される時代でした。金融システムと工業が飛躍的に発展し、アメリカ経済は急拡大。工業化のうねりは農業分野にも波及し、高い技術を用いた農業で農作物の収量は増大しました。

一方、農作物の収量が増加したことで農作物の価格は下がり、農民たちの収入は減少します。不換紙幣を大量に発行し、デフレ状態となった結果、紙幣の価値は上がり、借金の負担は増加。そのため農民たちの生活は苦しくなりました。

市場が全国化されたため農作物は鉄道を通じて全国に供給されましたが、当時の鉄道運賃は法規制がなされず法外な運賃が課されたため農作物の販売にも四苦八苦しました。保護貿易によって輸出に不利な条件が形成されていたことも農民には苦しい限り。

一方、この時期は高度に資本主義が発展したために、労働人口の過半数が賃金労働者によって占められるようになりました。かつてアメリカの労働者は賃金労働者であっても働き続けることで、独立したり、地主になったりできました。しかし、1870年代になると生涯労働者の人々が増えるようになりました。

死ぬまで賃金労働をするとなると現状を変えようとする労働者が出現します。以上のように労働者と農民の不満が蓄積することで第3党登場の流れは加速していきました。

具体的には農民政党やグリーンバック党などが生まれました。これらは1870年代には一時的には成功しますが、全体としては挫折します。やはり二大政党の壁は高くなかなか議席に結びつきません。

グリーンバック党は紙幣を多く発行し、物価を低下させ、農民の借金の目減りを画策します。一時は連邦議会にて二桁の議席を獲得するなど成功を見せますが最終的には挫折していきます。

挫折の要因には3つの要因があると考えられています。

①州内政治の自律性

当時の二大政党は現在とは異なり、全国規模で対立していたわけではありませんでした。それぞれの州にある党組織が自律的に行動していたからです。

そのため同じ民主党でも州ごとに主張する内容が異なるのは日常茶飯事でした。党組織は自分たちで勝手に立場を変えてよいため、第3党の主張を取り込んで、第3党潰しが頻繁に行われました。

例えば、禁酒運動が盛り上がる州の民主党は禁酒を主張するなどです。禁酒党などの第3党からすれば自らの主張が二大政党に持っていかれてしまい、独自性が打ち出せず、選挙では不利になりました。

②連邦レベルの争点の優位

連邦レベルの選挙ではやはり連邦レベルの政策が争点となりました。第3党が掲げる争点はその多くが州政府が管轄権を持つものだったため、連邦レベルの選挙で存在感を見せることができませんでした。

③大統領選挙に勝てない

第3党は大統領選挙で勝利できないことも躍進を妨げました。当時の政党は大統領選挙に勝つために組織されていたと言っても過言ではなく、その可能性があるのは二大政党だけでした。

第3党の意義

第3党は以上のような理由から勢力を伸ばすことはできませんでした。しかし、全く意義がなかったわけではありません。二大政党が自ら提起しないイシューを提言し、政策論争を活発化させたからです。また当時は二大政党が拮抗状況にあったためそれらの拮抗状況を突き崩す役割も持っていました。

第四次政党制へ

しかし20世紀末になると第3党をめぐる政局の様子は変わります。きっかけになったのが農民運動と呼ばれる団体です。この団体の活動が盛り上がりを見せ、結果的に当時存在していた第3党が集合し、人民党を結成しました。

人民党は政治や経済を牛耳る東部エリートから政治を取り戻そうと西部や南部の農民を中心に強い支持を得ました。勢いを増す人民党に対して二大政党も対応に追われます。

特に民主党は人民党の支持層が自らの支持層に重なっていることもあり、危機感を抱きました。そこで民主党は人民党が掲げる政策を自らの政策にも取り込むことを狙います。民主党が金本位制の廃止を掲げたため人民党はお株を奪われ、勢いが落ち込み、徐々に民主党に取り込まれていきました。

人民党の試みは民主党の迅速な対応によって終わりを迎え、やはり二大政党制へと状況は回帰していきました。

20世紀の政党政治へ

19世紀末から20世紀初頭にかけてアメリカの政党政治は新たな展開を見せます。まず二大政党が公式の制度となり、それに伴って政治スタイルも変化しました。最後に現在まで続くアメリカ政党政治の流れを確認してみましょう。

二大政党の公式の制度化

まずこの時期になると二大政党が公式の制度として制度化されました。制度化のために導入されたシステムが二つありました。一つ目が秘密投票の導入です。投票用紙を政府が管理し、その投票用紙にどの政党を書き込むのかについて政府の裁量が認められました。結果的に政府は基本的には二大政党以外の政党を投票用紙に記載しなくなりました。記載するには前回の選挙で一定数の得票を獲得するか一定の署名を政府に提出する必要があり、それらのハードルは第3党には高かったからです。

直接予備選挙が導入されたことも二大政党の制度化に貢献しました。ある選挙区においてどの人物が候補者となるかを政府が主宰する選挙で決定されるようになりました。政党指導者の候補者決定権限が奪われ、政府主導の二大政党制が実現しました。

政治スタイルの変化

アメリカでは19世紀までは愛党心に訴える選挙戦が多かったですが19世紀末になると候補者自身の実績やキャラクターが重視されるようになりました。先述の予備選挙では同じ党の候補者で争うようになったため党の所属がどこなのかが関係なくなったためです。

個人に即した形で行われる選挙戦を後押ししたのがジャーナリストでした。それまでのジャーナリストは党派的な報道を行っていたところ、この頃から現在のような客観的な報道が行われるようになりました。

しかも20世紀からは有権者登録制度が導入されたことで人々の政治離れ、政党離れが起きます。有権者の中でも事前に投票登録をしなければ投票できないシステムとなったからです。これにより投票率がガクンと落ち、政治離れが加速していきました。19世紀までに盛り上がりを見せていた政党政治も20世紀に入ると盛り下がっていきました。