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関係改善の特効薬!?「韓流」と「日流」について解説!

関係改善の特効薬!?「韓流」と「日流」について解説!

国境を超える大衆文化と「韓流」

東アジア国内で大衆文化の普及は1960年代ごろから始まりました。当初は日本のアニメが一方的に東アジアの他の地域に普及するという流れでした。

時代が進むにつれ、相互交流への潮流ができたり、新たな大衆文化の新輸出国への出現などの変化も出てきています。

今回は「大衆文化」が日韓関係にどのように影響を及ぼすのかについて解説していきます。

日本における「韓流」の歴史

ここでは韓国の大衆文化「韓流」についてフォーカスしていきます。「韓流」はどのように発生したのでしょうか? 韓国の文化が日本でクローズアップされたのがソウル五輪のころです。

ソウル五輪の成功によって「異文化としての韓国」がクローズアップされるようになりました。それ以前は政治的な混乱が韓国報道の中心で、大衆文化は注目されることはなかったのです。

韓国政府の「積極策」

「韓流」が人気になる中で、輸出国である韓国は政府の文化振興や積極的な輸出振興策を進めました。輸入国である日本においては文化面で日本人のアジア志向があり、文化の輸入制限はないことで韓流輸入に拍車をかけたのです。

日本における「冬のソナタ」インパクト

日本における韓流でひときわ影響を持ったのが「冬のソナタ」でしょう。冬のソナタは日韓関係に大きな意義を持ちました。日本人の韓国イメージを向上させたただけではなく、大衆文化の流れを双方向的なものにしました。

日本での「韓流」の定着に大きな役割を果たしたのが「冬のソナタ」だったのです。日韓の芸能史に新たな1ページが加えられました。

「冬のソナタ」の影響は訪韓者の割合に顕著に現れています。2008年から日本人訪韓者のうち女性が過半数を突破したのです。大衆文化と直接結びつけることはできませんが、確実に影響があったと言えるでしょう。

2010年前後には2回目の韓流ブームがありました。2019年現在でも韓流は日本の有力なコンテンツであることがわかります。韓流は継続的にブームが続いているのです。

「韓流」の特異性

国境を超える大衆文化ですが、市場規模や人的資本が優位な国から劣位な国に流れるのが普通です。「文化輸出大国」である日本での韓流現象はこれでは説明できない点があります。

「韓流」は韓国政府が強力に後押しして輸出をしています。結果的に「韓流」は韓国を象徴するコンテンツとして世界に受け入れられています。

国境を超える大衆文化と日流文化

大衆文化の流れを決めるには3つの要素があると言われています。

  • 国内の市場規模
  • 人的資本
  • 文化的類似性 

韓国における日本大衆文化は1998年に開放されました。それ以前、韓国は日本文化の流入を禁止していました。実質的には多くの大衆文化が流入していたのですが…

1998年には日本の大衆文化の国内流入が解禁になりました。近年では「君の名は。」などが人気になるなど、「日流」が受容されています。

日本と韓国のコンテンツの違い

韓流コンテンツはわかりやすく典型的なものが多いですが、日本のコンテンツはテーマが多様でよい意味で複雑なものが多いと言われています。相互補完的な文化が韓流と日流の間で展開されています。

大衆文化接触とその国への好感度

大衆文化を輸入する影響は大まかに二つに分かれます。一つ目が経済効果、二つ目が好感度上昇などの非経済効果です。

日本ドラマを見ている韓国人が日本に対して、好感度を持っている割合が見ていない人よりも高くなっています。

このように大衆文化の潜在的な影響力を過小評価するべきではありません。大衆文化接触と大相国への親近感には相関関係があるのです。

しかし、因果関係をすぐに導くことはできません。他の因子が関わっている可能性があるからです。また、政治・外交面で大衆文化が影響を及ぼす結果はできていません。

「大衆文化」の交流は政治経済の関係をひっくり返すほどのインパクトは持っていません。しかし、政治・経済を支える人々にとっては確実によい影響を及ぼすと考えられます。

何かと、もめがちな日韓関係。大衆文化の接触がよりよい方向へと後押ししてくれることを願っています。