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集団的自衛権ってなんだ?そんな人に読んでほしい一冊!「平和のための戦争論」の書評!

集団的自衛権ってなんだ?そんな人に読んでほしい一冊!「平和のための戦争論」の書評!

『平和のための戦争論』概略

 『平和のための戦争論』(以下、本書)は、2014年7月の安倍政権による集団的自衛権行使容認の閣議決定を受ける形で出版された。この集団的自衛権の行使容認は日本の戦後外交の方針を一変させるものとして受け止められている。集団的自衛権の行使容認によって、自衛目的以外での自衛隊による武力行使が容認されることになったのである。他国防衛を目的に自衛隊の実力を使う選択が可能になったのだ。本書では、この集団的自衛権の行使容認を切り口にどのように日本は「平和」を実現していくべきなのかを論じている。

 本書が特徴的なのは、「そもそも論」を用いるところにある。受容されている論理や用語の根本から解説しているのだ。例えば、集団的自衛権の容認がなされた背景として考えられている「日本の安全保障環境が厳しさを増している」という言説に疑問を呈する部分がある。(第2章)確かに、東アジアの国際政治は激動である。北朝鮮は実質的な核保有国になり、中国は力による現状変更によって、東アジアにおける覇権を確立しようとしている。加えて、アメリカの東アジアにおける力は相対的に低下している。通説通り、日本の安全保障環境は厳しいものに見える。しかし、筆者は、日本の安全保障環境は「それほど厳しくないからこそ、厳しい」と論じる。本書が出版された2015年時点においては、アメリカのプレゼンスが高めようとするほど、中国は東アジアでの覇権を確立するには至っていないというのである。その結果、日本は東アジアにおけるアメリカのプレゼンスに過度な期待ができなくなった。だから「厳しくないから厳しい」のである。他にも「戦争はなぜ起きるのか」(第3章)や「抑止力とはそもそも何か」(第4章)のように、「平和」を考える上で必須になる概念を基礎的な部分から解説している。

 筆者は早稲田大学教授であり、安全保障の専門家だ。現実的な視点を持ちながら、リベラルな安全保障を志向する点に特徴がみられる。その姿勢は、「第7章 リベラル抑止」に明確に現れる。「リベラル抑止」とは、相手国と経済協力等の友好関係を構築することで、戦争する代償を高め、戦争を抑止する考え方である。現実的な平和構築論である。これは、本書に一貫して流れる筆者の冷徹なまでの現状分析への姿勢を象徴している。また、随所に最前線で研究をする海外研究者の言葉を織り交ぜ、多様な視点での分析を行なっている点にも好感が持てる。

 本書のような新書形式の書籍は基本的にその分野における入門書の位置付けを取る。本書は確かに安全保障の入門書である。しかし、より深い安全保障への世界へと誘うことに優先順位を置いているわけではない。日本人が日本人として国家の進路をどのようにとっていけばよいのか。本書は主権者が主権者たるための指南書でもある。

感情論ではない議論のために

 では、平和を論じる上で、筆者はなぜ安全保障の基本から解説するスタンスをとったのであろうか。それは筆者の目的が、国民による平和構築のための、建設的な議論を促進させることにあるからだ。

 建設的な議論をするには、データと事実に基づき、あらゆる可能性を排除しない謙虚な姿勢が求められる。「そもそも論」を用いた解説からは、議論する上で重要になる概念ー例えば、安全保障や抑止力ーを理解した上で、議論をしてほしいという筆者の願いが読み取れる。 

 集団的自衛権をめぐる問題は、「戦争」や「徴兵制」などのセンシティブな単語と結びつきがちである。結果、感情的な議論やイデオロギー色の濃い議論に終始する場合が多い。そのような議論は、参加者同士の歩み寄りが難しいだけでなく、事実と根拠に基づかない、非建設的な議論になる可能性を多分に含んでいる。その議論は拙速な意思決定をもたらしかねない。それを避けるべく、本書でも筆者自身の思想・心情を読者に押し付けるイデオロギー的な内容はその中心に据えられていない。筆者が明確に自らの考えを述べているのは、第8章「日本の選択」の最後の小見出し部分にとどまる程度である。

平和のための議論に必要なもの

 安全保障や防衛に関する政策は専門性が高く、一般市民には遠い世界でとっつきづらい部分がある。しかし、筆者は「戦争をするか否かは私たちが決める」とはっきりと言い切る。戦争が人命や生活を脅かすものとして存在する以上、主権者が戦争を避け、平和を希求しなければならないからだ。

 その上、現代の戦争はかつてのそれからの変容を見せている。評論家・宇野常寛は「…戦争暴力の当事者として、国民国家だけをファクターとして捉えるのは難しくなっているという問題です。(中略)僕たちが考えている安全保障や平和のイメージも更新される必要があるはずです…」と述べる。(宇野 2018 p.32)

 宇野の言葉通り、テロリズムをはじめ、戦争の形態は多様性を帯び始めている。それでも「戦争」の本質は変わらない。大きなリスクと損失をもたらすものとして普遍的に存在し続けるのだ。戦争の普遍的な性質を理解するためには、戦争にまつわる普遍的な概念を理解しなければいけない。本書が目指しているのは、議論の促進に加え、議論を支える安全保障と戦争に関する普遍的な概念を理解することにある。

 しかし、注意点もある。本書では、平和構築のために、国民全体での議論の重要性が語られているが、議論を行う方策については具体的な提案がなされていない。平和のための議論をするにあたり、概念を正しく理解するだけではやや心もとない。加えて必要になると考えられるのが、国民全体で立憲主義という価値観を改めて共有することである。立憲主義を理解することで、平和のための議論に究極的な指針が与えられるからだ。

 日本は戦後、立憲主義の下、民主主義的プロセスによって政治的意思決定がなされてきた。憲法は、究極的には価値観の異なる個人同士が社会生活を送る上で共有するべき価値観を明示する。その中に、平和を希求する価値観が内包されていることは、日本国憲法全文を見れば明らかである。その平和追求という価値観を改めて社会全体で共有することが必要である。「平和希求」という価値観は、平和構築のための議論の大きな指針になり、拙速な戦争へと導かない。議論に必要なのは、正しい知識に加え、その議論の究極的な目的である。ここでは「平和追求」である。究極的な議論の目的を明示することで、意思決定は円滑になるのだ。

 平和の定義は様々であり、全員が納得する平和の形は存在しえない。それゆえ、時代に応じた最善の平和を達成するためには不断の努力が必要になる。本書を起点にし、「平和」を達成するための手段ーそこには戦争という手段も含まれるーを模索する主権者の営みが不可欠である。

参考文献 ・参考資料

 ・毎日新聞 2014年 7月2日付 「9条解釈を変更、戦後安保の大転換」

 (https://mainichi.jp/articles/20140702/org/00m/010/991000c 

  アクセス:2019年 1月22日 11:19)

 ・長谷部恭男(2004)『憲法と平和を問い直す』、ちくま新書

 ・宇野常寛 編集 (2018)『PLANETS vol10 <戦争>と<平和>を再定義す

  る』、第二次惑星開発委員会

 ・戸田山和久(2012)『論文の教室』、NHKブックス