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目的のないところから目的は生まれるという矛盾と面白さ

目的のないところから目的は生まれるという矛盾と面白さ

世の中は目的にあふれている。目的意識を持って行動することはとても大切なことだけれど、目的、目的、目的。になってしまうとこれはこれで大変だ。

なぜかって、何か目的がないと行動してはいけないんじゃないかって不安になるから。

じゃあ目的とはなんだろう。目的とは自分を縛り付けるためにあるものではないのだけれど。

最近では目的のないところに目的は生まれると感じている。

僕は友人と月二回ぐらい都内のカフェで「不毛会談」という会を開いたりしている。発案は僕ではないのでたいそうなことは言えないが、発案してくれた僕の友人Kくんはこんなことを言っていた。

誰かと話すことを通じて心の底から繋がれることはきっと楽しくて、とても満たされるものになるだろうなとしみじみ感じています。

彼にとって何を話すのか。誰と話すのか。そんなことはどうでもいいらしい。カフェに座り、気の赴くままにしゃべる。そこに目的はなくていい。ただその時間が終わって一人になったとき、「ああ充実していたな」と感じることができたらその時間は無駄ではなかったと思えるのだ。

でも「ああ無駄だったな」という気持ちが出てきていてもいいんじゃないって彼は言う。そもそも目的なんてないんだから、無駄ってものが存在しないんだ。無駄ってのは目的を果たそうと行動したけど、目的が達成できなかったときに使う言葉だからね。

多くの人は目的意識を持つことが正義だと思っている。目的意識を強烈に持つことで、生産性が上がると妄信している。僕はそこに一石を投じてみたいんだ。目的ってのは本当に使いようで、自分自身のモチベーションをあげるにはとってもいいものだと思う。でも、その反面、目的がないと行動できないようなジレンマに陥ってしまうことだってあるんじゃないかな。

そんな人にはぜひさっき言ったような「不毛会談」のような時間を作ってみてほしいと思う。不毛会談自体にはそんなに意味はない。無駄でもいいのだ。無駄でもいい時間を過ごすこと。目的のない時間を過ごすこと。そこで自分がどう感じるのか。どんな対話を人するのか。そこに自分の本音とか本当にやりたいことが詰まっているのではないかと思うんだ。

目的を強烈に意識すると目的に沿った行動しかできなくなる。これは本当に怖いことでつまらないことだと思うんだ。自分の行動の幅を広げる意味でもいいんじゃないかなって。

今日はここまで!ではでは。