大学生へ選択的ぼっちのすヽめ

大学生へ選択的ぼっちのすヽめ

新年度が始まった。僕は不自然なほど真面目なので入学以来、大学の講義を欠席したことはほとんどない。

当然のように4月9日の講義開始以来、大学に通いつめている。僕の場合、3年生からキャンパスが変わる。今年からのキャンパスはそれまでのキャンパスと比べて都会にある。オフィス街の中に忽然とキャンパスがあるのだ。

1・2年生の時のキャンパスにはサークルの会室があった。会室に行けば誰かがいた。話し相手には困らなかった。

しかし、今年からのキャンパスにそのような場所はない。もとより大学における友人など少ない方だから、大学で人間と話す機会はめっきり減ってしまった。

そんな訳で、僕は大学をロボットのように動き回っている。次から次へと指定された教室へ移動している。そこに意思は存在していない。

ロボットのような僕だが、目に入るものがある。それは友人と仲睦まじく歩く学生の様子である。

彼らは、大学生特有の陰陽二元論に当てはめてみれば「陽キャ」と呼ばれる人間たちである。彼らの姿は眩しい。

ぼ、ぼくだって、連絡すれば会ってくれるような人間もいる!た、ただ特段、用もないので連絡をしないだけ!

はたから見れば、あまり人と喋らない大学生活は寂しいのかもしれない。しかし、当の本人はそこまで悲観していない。自分で気持ちいいと思える人間関係を築けている自信があるからだ。

キャンパスでは確かにあまり人間には会わない。しかし、週1回はサークルがあるし、そのほかインターン先や各種イベントで会うような人もいる。

人間関係には適度な距離感が必要だ。友人に依存すれば自分の人生はつまらないものになるし、あまりに一人ぼっちでもつまらない。

自分の殻にこもること。他の人と積極的にコミュニケーションをとること。どちらも大切だ。自分一人の時間が楽しめない人生はきっとつまらない。

大学は自由だ。自由っていいことのように聞こえる。でも実は自由って怖い。

薄い人間関係を作ろうとするキョロ充ばかりが増えることになる。

だから僕は「選択的ぼっちのすヽめ」を提言していきたい。この「選択的ぼっち」とは、自分で人間関係を自由自在にコントロールすることだ。

自分でぼっちになれる人間関係を作れているだろうか?自分の時間を確保できているだろうか?自分が選んで自分の人間関係を操れているだろうか?

自由になるのが怖いから薄くてもいいから、人間関係を作ろうとする。でも、これは自分の人生を相手に預けてしまっている。こんなんでは充実した人生など無理な話だ。

自分の時間を確保しながら、適度な人間関係を作っていこう。

いやあ、なんていいネーミングなんだ「選択的ぼっち」このおかげでただのぼっちなのに自らの意志で「ぼっち」になっているだけという印象を持たせることができるではないか。