挫折は必要なのか?

挫折は必要なのか?

サークルの新歓合宿。夜も静まってきた頃、お酒をチビチビ飲んでいた。そこに後輩が来て、こんな話をされた。

「私、挫折したことないんです。だから将来が心配なんです。いつか大きな失敗をしたとき、立ち直れないかもしれないと思うと心配なんです。挫折って必要だと思うんですけど、アキさんはどう思います?」

僕は温室育ちの人間だが、本当の温室育ちではないと思っている。大きくはないが、失敗した経験も多くある。

ゼミに入れなかったのは紛れもない挫折だし、他にも浪人した経験や、希望する団体に入れなかったり、インターンの面接に落とされたり、もっと遡ってみれば、小学生の頃、どう考えたって俺より下手な奴がレギュラーだった。

どの経験も、当時の僕にとっては挫折で、世の不条理を感じ取っていたと思う。ではなぜ僕がその経験を挫折だと思えるのか。それは自分がやりたいことを自分の判断でやろうと思ったからだ。つまるところ、挫折とは結果論なのだ。

ただの失敗と挫折は分けて考える必要がある。ただの失敗はただの失敗だ。

他の人に命令されて、これやれって言われて、それでやったことを失敗してもそんなに悔しくないし、まあいっかで済ませてしまう。

だから自分で決めて自分でやることが必要なんだ。

僕に最初に相談してくれた後輩は本当にすごい人だ。スペックが高い。確かにあまり失敗する要素がない。いわゆるデキる人だ。僕はプライドが高い上にスペックも高くない、やる気だけが取り柄の男だから、失敗することばかりだ。

しかも能力が高い人は自分のコンフォタブルゾーンが広い。自分の能力でデキる範囲が広いから、挫折する可能性は著しく低くなる。

そんなデキる人に挫折は必要なのか?というのが問題だ。これまで述べてきたように挫折は結果論のものだ。自分が本当に手に入れたいものを手に入れようとして失敗した経験のことを挫折という。

失敗したあと、ふつふつとした怒りが自分自身、もしくは社会に対して湧き上がってきたらそれが挫折だ。

自分としては本当に手に入れたいものと思ってたとしても、失敗したあとまあいっかと流せるのならそれは挫折じゃない。

だから挫折をするには自分が本当に欲しいものを手に入れようとしないといけない。それは僕の場合、希望のゼミに入ることだったり、浪人したりした経験だった。

だから挫折するにはそもそも自分がチャレンジしないといけない。自分が背伸びしてチャレンジしないといけない。自分のコンフォタブルゾーンから抜け出して、チャレンジする経験こそが、挫折を手に入れるために必要なのだ。これはちょっと逆説的かもしれない。

挫折の効用について少し述べておこう。挫折はとてもいいものだ。挫折をするとこの世の中が自分が決められないところで動いていることがよくわかる。そうして自分が決められないことを感じることこそが、紛れもない社会を知ることだ

その社会を知ることで僕らは本当に視野が広がると思う。視野を広げようと簡単にいうが、失敗によって広がることが多い。

一回、失敗というダークサイドに落ちないと人生面白くないよ!だから、いっぱい失敗しよう!

とぼくは思っている。自分のチャレンジが失敗した時、悔しく思えるかどうかだから。結果的に挫折を最初から求めるのはおかしいよね。頑張ろう。