【語り】激コミの清水公園で見た闇

【語り】激コミの清水公園で見た闇

更新が滞っておりました。

4月29 30日に千葉の清水公園に行く機会があったのですが、それはそれはとんでもなく混んでおりました。

アスレチックにいけば120分待ちの看板が掲げられております。

おいおい。ここはネズミの国じゃないんだぞ。とツッコミでも入れたくなります。

特に多いのは親子連れ。ちびっこがまだかまだかと自分の目の前にアスレチックが現れるのを待っております。清水公園の巨大なアスレチックとよし!一戦交えようじゃないか。小さな体にふつふつと闘志がみなぎっているのは、荒んだ大学生の目からしても明らかです。

子供が未知の巨大な怪物とのセッションを渇望している隣で、スマホをいじる人がいます。

ああこの人は「親」なのだな。すぐにわかります。子供のそばにいるでかい大人は「親」だと相場が決まっていますから。子どもの隣にいる大人が「親」である可能性が高いということを知らなかったとしても顔に「親です」と書いてあるので、すぐにわかります。

もし知らないおじさんなら、子供は闘志をみなぎらせている場合ではありません。早めに逃げることをオススメします。

「親」さんはスマホで何をしているのでしょう。SNSを見ているのかな。 FXでもやっているのかな。バズドラやってるのかな。でもスマホを画面を覗き込みたい衝動には駆られません。おっさんのスマホに興味はないのです。

行列に並んでいる間、ワクワクしている人の隣にスマホをいじる人がいるという構図が生じています。

今回は親子関係だからいいものを、これがカップルだったら目も当てられません。子どもがワクワクするエネルギーの何倍ものエネルギーで喧嘩が勃発です。こういう時にスマホをいじっているのは男だと相場が決まっています。男って本当にバカね(ブーメラン)

人間がスマホを使用する際、「惰性」が相当の割合で関与しているという研究結果が僕の妄想の中で出ています。

あながち自分の中では間違っていないとは思います。

そこらへんにサンプルがありまくるので、スマホをいじっている人がどんなことをしているかはわかります。ちらっとみればね。

きゃー変態なんて言わないでください。しょうがないでしょう。見えてしまう、というより見ちゃうんだから。

僕が覗き込むスマホの画面の中では色々なモンスターが人間の親指によって踊らされたり、人間の様々な苦しみが小鳥のさえずりという枠組みの中で阿鼻叫喚したりします。

それらが何も生み出さないということを人間は脳髄の奥の方のところでわかっているのでしょう。しかし、「惰性」は人を突き動かします。ある意味!

ということで、行列を作る「親」さんは惰性でスマホをいじっています。一心不乱に。残念ながら。

まったくワクワクしていません。アスレチックにも。スマホにも。もしかしたら子どもにも。

ゴールデンウィークというのは行列に並んで惰性でスマホをいじるために日本政府が設定したわけではありません。

かといってなんとために設置されたのかと聞かれればわかりませんが。

「貴重」な休みなのだから、行列に並んで、スマホなんぞいじるな!という主張はあまりに単純でつまらない。

休みが「貴重」であることが問題で、みんながみんな同じ期間に同じところへ出かけて行くことが問題なのです。

こうして残る感想は「楽しかった」ではありません。「充実してた!」でもありません。

「混んでたなぁ」それだけです。

高橋優さんの「パイオニア」という歌に「行列の後ろの方的価値観」という歌詞があります。

その価値観がもたらすのは「混んでたなぁ」まさにそれだけなのです。

どんなに自分の子供が楽しそうな顔をしてアスレチックをしていたとしても、自分が全く知らない人間がたくさんいたせいで、自分の子供の顔にもやをかけてしまうのです。

これではなんのために遊びに行ったのかよくわかりません。

遊びにいくということは少なくとも「楽しかった」という感情が芽生える必要があります。これは本当に最低限のことです。馬の骨の分からぬ「他人」に「遊び」を邪魔されてはいけません。

自分が親になったとき、安易に「清水公園」に頼らない親になりたいと固く誓います。いわんや「ディズニーランド」をや。

自分ちの廊下で座禅をして「楽しいぃぃぃ」と言えるような子どもが育ってくれればいいなと思います。最後は少し話を盛りました。失礼しました。