愛校心がない慶應生がなぜか早慶戦に応援しに行った話

愛校心がない慶應生がなぜか早慶戦に応援しに行った話

早慶戦か慶早戦か

早慶戦を観戦することは、早稲田の学生にとっても慶應の学生にとっても特別なことです。両校はおたがいを強烈に意識し合っているからです。

早稲田と慶應はどちらも私学の二大巨頭として、天下にその名を轟かせてきました。早慶戦ではその永遠のライバル・早稲田と慶應がぶつかるわけです。

両校のプライドとプライドがぶつかり合うことになります。

しかし、両校はなぜライバルでいられるのでしょうか。それは両校の学生の愛校心があるからに他なりません。

慶應生であることに誇りを思い、早稲田生であることに誇りを思う。そういう学生なしには早慶戦は成り立ちません。自分の学校を誇りに思う学生がいてこそ、早慶戦は特別なものになるのです。

早慶戦当日。両軍のスタンドには多くの観客が詰め掛けています。その中の一人が僕でした。

愛校心が早慶戦を特別にする。僕はそう確信しています。

しかし、僕にはそこまで愛校心がありません。観戦に行っても応援に身が入らないことは火を見るより明らかです。ではなぜ僕はわざわざ神宮球場に出向いてしまったのでしょうか。

理由

神宮球場の青々しさ。高く鳴り響く応援団のかけ声。爽やかに球場を照らす太陽。共に応援に駆けつけた友人。

そのどれもがまさしく青春の1ページ的な!?感じに思えてなりません。手っ取り早く青春らしきものを感じられる(?)のが早慶戦なるイベントなのです。

それがたとえ錯覚であったとしても。

選手たちはかわいそう

そんな頭お花畑な気分の人々に包まれる選手は、るんるん気分ではないでしょう。試合に負ければ自分がやってきたことが否定される気分になるはず。だから必死で勝とうとします。僕らはその姿を応援するわけです。

しかし、日大のタックル問題のせいで、華やかな大学スポーツの裏側に闇があるのでは?と疑われてしまう風潮があるのも事実です。選手たちはなんとも損な役回りです。

応援へのモチベがない

僕には慶應に対する愛校心がありません。なのに「早稲田を倒せ〜」というのは早稲田様に申し訳ありません。

応援は頭がお花畑でないとできないものです。応援することに少しでも疑問を持ってしまったら、応援への熱など急に冷めてしまいます。

疑問を持たず応援するには盲目的になることが必要です。慶應義塾のことが大好きで、大好きで仕方ない。そんなマインドでなければ応援なんてできません。

疑問を持ちながら、応援するなんてどだい無理なことなのです。「なんか違うな〜」と思いながら、「早稲田を倒せ〜」なんて言っているのは虚しくて虚しくて。僕はやってられません。勘弁してください。

「応援される」ということ

応援する方は気楽なもんです。ポカポカとバルーンを叩いて、無責任に「勝て〜」なんて言っているのですから。

しかし、応援される方はそんなに気楽ではありません。負ければ今までやってきたことが水の泡。自分がやってきたことが間違っていなかったと証明するためには勝たないといけないません。

その必死な姿に僕らは応援するわけですが。しかし、応援は一歩間違えれば惰性になりかねません。慶應の信者にならなければ、応援は楽しくありません。レフトを守る選手を見守りながら、「あの選手は惰性の応援をもらって嬉しいのか」などと考えてしまいます。僕は本当にめんどくさいやつです。

自分が虚しく応援しているからこそ、僕は本気で応援される人生がいいなと思ってしまいました。なんだか皮肉なものです。