愛校心がない慶應生がなぜか早慶戦に応援しに行った話

愛校心がない慶應生がなぜか早慶戦に応援しに行った話

早慶戦か慶早戦か

野球の【早慶戦】を観戦にいくということは慶應生にとって特別です。それは早稲田、慶應、両校の学生の愛校心があってこそのものです。

(慶應LOVEな人にとって、早慶戦ではなく、【慶早戦】なわけですが。)

両軍のスタンドには多くの観客が詰め掛けています。その中の一人が僕でした。そこまで愛校心のないのになぜ応援しにきてしまったのでしょうか?

理由

一つ目の理由としては野球ファンとして、500円で日本大学野球の最高峰の試合を見ることができることは大変嬉しいものだからです。

その一方で、いかにも【大学生】といった感じを味わいたい。そんな浅はかは思いがあったことは否定しません。青春を謳歌していると感じてしまうのは、神宮球場の青々しさのせいでしょうか。

選手たちはかわいそう

そんな青春気分・頭お花畑な気分の人々に包まれて野球の試合をする選手は、そんな気分ではないでしょう。日大のタックル問題のせいで、華やかな大学スポーツの裏側に闇があるのでは? 競技は違えど、疑ってしまうのはもう仕方のないことです。選手たちはなんとも損な役回りです。

応援へのモチベがない

再三申し上げますが、慶應に対する愛校心がそこまでないので、「早稲田を倒せ〜」と慶應の立場から応援するのそこまで乗り気がするものではないのです。

応援をしながら思ったのですが、応援するという行為は本当に頭がお花畑でないとできないものですね。

応援をするには、自分が応援する側への盲目的な従順が必要になるからです。疑問を持ちながら、応援するのは大変です。「なんか違うな〜」と思いながら、「早稲田を倒せ〜」なんて言っているのは、虚しくなるものです。

応援をするということ

それに対して、応援される方は自分の目標に向かって頑張っているのですから、本当に大変なことです。大変だからこそ、応援されるのでしょう。

応援してもらうことは、相手に自分への盲目的な従順をしてもらうということです。応援される側は、応援する方をコントロールすることはできません。

人生で応援されなかったことがない人はいないと思います。しかし、それは【同じ慶應だから】や【同じ家族だから】のような、ある意味、当たり前の応援のされかただったかと思います。

だからこそ、不特定多数の人々を巻き込んで、応援される人ってのは本当にすごい人だと思うのです。

応援される人間になりたい?

応援する方はその気持ちの持ちようで応援するかどうか決めるので勝手なものです。

その一方、応援される側は、多くの人を巻き込んで応援されているので、大変素晴らしいものです。自分のやっていることが評価されているからです。

慶應野球部を応援しながら、応援されるものになりたいと考えたのでした。でも、応援されたいというのは違います。コントロールできない他者に期待しているからです。

結局は自分なのだな。うーん、結論が平凡すぎて、自分に失望する私なのでした。