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大学生に重くのしかかる「やりたいこと」という概念についての考察

大学生に重くのしかかる「やりたいこと」という概念についての考察

(よい子のみんなはこれからの文章のすべてを真に受けず、あくまで楽しみながら読んでほしい)

就職活動は世界の中でも日本独自の奇妙な風習である。日本における就職活動は大学生が本格的に資本主義社会へと参入する契機である。その参入方法というものは以下の通りである。

まず資本主義勢力への妄信書を提出する。その後、資本主義や企業への忠誠心などが面接などによって判定され、組織への所属が認められるのかが判断される。

近年では3月ごろにマイ◯ビやリクル◯トといった資本主義社会の権化どもが「就活だ!人生の軸を見つけろ!泣けば内定が出るぞ!」と若者たちを扇動し、資本主義社会の手足となるための教化を施し始める。

その就職活動、いわゆる「就活」において大学生人民の肩に重くのしかかるのが「やりたいこと」なる概念である。この「やりたいこと」は日本の中で確かな存在感を持つ思想として近年注目を集めている。就職活動の場面において、その忠誠心を測るために企業側が問うのがこの「やりたいこと」であるからだ。

困ったことにあたかも「やりたいこと」がなければ資本主義建設には関われないような風潮さえ醸成されている。

そもそも日本人大学生には一定の自由が付与され「やりたいこと」をやれる環境に溢れている。その環境の中で日本人大学生は自己建設の精神と自己革命の溢れる炎をその体躯に宿し、「やりたいこと」を実行していく。その「やりたいこと」は飲酒、簡易組織活動、雪上滑走、時間制資本主義労働などが主である。

このように一定の自由のもとで「やりたいこと」を極める日本人大学生人民であるが、この「やりたいこと」を就職活動の時に全面的に押し出すことはできないというところに問題がある。

すなわち、日本人大学生はこれまで実行した「やりたいこと」とは全く異なる方向性を保持した「やりたいこと」を企業に提出しなければならない。

つまり企業面接時「御社入社後に『やりたいこと』は大学生活から引き続きスノボと酒を飲むこととサークル活動です」という発言はできないのだ。

この矛盾に葛藤する就活生および大学生は多い。「やりたいこと」という崇高な目的意識を掲げて資本主義へと参入しなければ、資本主義教に染まった日本社会では生活がしづらくなるという一種の強迫観念が確かに存在する。そのせいで近年では日本人大学生の多くが在学中にカンボジアの学校建設に領導されている。

資本主義社会では「やりたいこと」を快楽に耽るためのものではなく、利他精神に溢れ、将来に渡り社会的な影響力を保持しようとする明確な意志と計画であると定義づけている。

この定義付けを信じ、元に就活生はこれまでの少ない経験を熱烈に掘り起こし、資本主義社会への参入を試みんとする。この結果、熱烈な資本主義者の卵たちのなかにバイトリーダーと学園祭実行委員長が多数蠢く結果となるのだ。

彼らが社会へと参入した後、嘯いたことによる所属企業との相互誤解が生まれ、資本主義社会の中で民主党政権時の首相よろしく、転々とするのが近年の日本資本主義の問題点であると盛んに喧伝されている。

そこで社会はお得意の若者批判を展開し、現代の若者の精神力の欠如や胆力のなさを嘆く。しかし、問題の根本はそこではない。

大学生が「やりたい」と思うことと社会が要請する「やりたい」ことが根本的に交わることのない状態にあるのが問題の根源である。このことを日本人大学生の中に教化しなければ、大学生という人生の中でも体力と時間の富貴栄華に満ちた時間を無為にすることになるのである。