金日成は金正日に殺された説を検証③〜「北朝鮮はなぜ孤立するのか」を参考に

金日成は金正日に殺された説を検証③〜「北朝鮮はなぜ孤立するのか」を参考に

萩原遼の極端さ

過去2回の記事では1980年代から90年代にかけての北朝鮮内部の路線対立について『北朝鮮 真実の金王朝』(萩原 遼)を用いて研究してきた。萩原は金日成と金正日が1990年前後において対立していたとの主張をしている。

萩原は二人の対立は激しく、その結果、金正日が金日成を謀殺したとの結論を下している。しかし、これが正しいのかを証明する証拠はないから、この金正日による金日成謀殺説を立証することはできない。

「金正日が金日成を殺した」と聞けば、センセーショナルで耳目を集めるかもしれないが、その結論は極端であると言わざるを得ない。

『なぜ北朝鮮は孤立するのか』紹介

『北朝鮮はなぜ孤立するのか』は2010年に新潮選書から出版された。著者は平井久志。1952年生まれ。1975年に共同通信に入社し、外信部、ソウル支局長などを歴任している。2002年には脱北者瀋陽事件報道で新聞協会賞を受賞している。

北朝鮮報道に長く関与し、著書も多い平井氏の評価は高く、学術ができるジャーナリストとの評価を得ている。

『なぜ北朝鮮は孤立するのか』は北朝鮮・金正日体制について論じている。金正日が権力を保持する過程から「先軍政治」の確立、金正日後継体制の模索までを扱う内容になっている。

一貫して金正日動向を追う内容になっており、ジャーナリストらしく自身の体験を踏まえつつ、一次資料に基づいた研究をしている。私はこの本を初学者でも読みやすくも研究所として質が高いとの考えている。(主観)

『なぜ北朝鮮は孤立するのか』第3章を読もう

『北朝鮮 真実の金王朝』での萩原の論はやや極端ではないかと述べた。『なぜ北朝鮮は孤立するのか』の第3章をここで取り上げるのは金日成と金正日の路線対立について重要な示唆があると思われるからである。そこで述べられる結論も荻原ほど極端ではない。そこで金日成と金正日との路線対立に関する研究をより深めるため『なぜ北朝鮮は孤立するのか』第3章を読んでいこう。

『なぜ北朝鮮は孤立するのか』第3章の最初の小見出しは『金日成「最後の闘争」となっている。

平井は1992年4月に開催された最高人民会議第9期第3回大会から94年7月の金日成死亡までの期間を

非常に興味深い

と評価した上で以下のように述べている。

金日成主席が主導しているとみられる政治潮流と、金正日書記が主導しているとみられる政治潮流が混在し、94年になると金日成主席の「親政体制」と思わせるほど金日成主席が執政の前面に出た政局運営が鮮明になるからだ。

なぜ路線対立が顕在化したのかについて平井は落馬事件について言及している。長年金正日の専属料理人を勤めた藤本健二氏の著書から金正日が92年になり、落馬した際の大怪我で執務が取れる状況になかったことを指摘している。

その結果、国家の重要決済は金日成を判断を受けなくてはならなくなった。そこで金日成は北朝鮮の経済状況について衝撃の事実を知ることになる。

北朝鮮国内は当時、相次ぐ天災に見舞われ、食糧事情が逼迫していた。餓死者は数十万単位で発生したと考えられている。この「苦難の行軍」を金日成はおめでたいかな知らなかったのである。

これには金正日による統治システムが関係している。80年に後継者として活動を開始して以来、金正日は自らの決済が必要な膨大な書類のほとんどを金日成には報告していなかった。

そのため金日成は国内事情について詳しく把握することはなかったと思われる。金日成は金正日よりも民生に関心があると言われ、餓死者が出ることに対して許せない感情を持つことは想像できる。

国内の足元の経済状況を改善させるべく、金日成は最後の「奪権闘争」に向かったと考えられる。94年に入り、金日成の公式活動は50回を超えている。なくなるのが94年7月であるからわずか半年ほどの間に50回の公式活動を行うのはやや不自然にも思える。

外交面でも金日成は舵取りを行った。金泳三韓国大統領と初の南北首脳会談を行おうと訪朝したカーター元大統領に働きかけた。カーターと会談を行うことでアメリカとの核危機を回避しつつ、韓国とも近づこうとするしたたかな戦略がみて取れる。

金正日は復活した父親の姿を病床からどのように見ていたのだろうか。近くない将来に訪れるであろう自らの時代を前にして、父親が焦りを抱えながらも生き生きと活動していたのである。

曲がりなりにもカリスマとして金日成は北朝鮮に君臨した。その後継がうまくいくのだろうか。不安を覚えていてもおかしくはない。

平井は90年初頭の金日成と金正日の路線対立に関して金日成による

反金正日の動きと見るのは行き過ぎだろう

とし

むしろ、息子に「代を継がせる」ために、金日成主席が生涯の最後の力量を振り絞って難局打開に立ち向かい

と評価している。すなわち路線対立があったもののそれは対立をしたくてしているのではない。金日成がスムーズが後継体制を構築したいがための行動であったとしている。

まとめ

荻原本よりも穏当な結論に到達した平井本を見るに北朝鮮の内部対立は確かにあったと言ってよかろう。しかし、その対立は対立そのものを目的としているわけではない。むしろ最大の懸案事項である後継が平穏無事に行われることを願い、金日成が最後の力を振り絞るために金正日を差し置いて、金日成が腕を振るったのだ。

しかし、大きな疑問も残る。なぜ非同盟外交を推進しようとした金日成がいきなりカーター訪朝に対応し、金泳三とも会おうとしたのか。やはり背後には西側諸国との関係改善を模索していた金正日の意向が働いていたのではあるまいか。

またこの時期の北朝鮮の内政方針はことさら金日成が内政を重視したことを強調するが前後の時期と比べて、確かなことなのか。路線対立があったことを強調したいがためのバイアスではないのか。引き続き検討が必要である。