李明博政権から朴槿恵政権の韓国政治について解説!

李明博政権から朴槿恵政権の韓国政治について解説!

この記事では韓国第17代大統領・李明博大統領から第18代大統領・朴槿恵大統領の韓国政治について解説していきます。

李明博政権

第17代大統領選挙

かなり異例だった盧武鉉政権の任期満了に伴う第17代韓国大統領選挙が2007年12月19日に行われました。

盧武鉉政権はかなり異例の政権で、任期満了当時はそこまで高い評価を得ていませんでした。これによって盧武鉉の後継である鄭東泳の低支持率につながっていました。その結果、起業家出身でソウル市長の経験がある李明博候補に追い風が吹きました。

選挙結果と得票率は以下のようです。

  • 李明博 ハンナラ党 48.7%
  • 鄭東泳 大統合民主新党 26.1%
  • 李会昌 無所属 15.1%

投票率63%と低調(前回は70.8%)でした。

李明博の政治

李明博は経済重視の政策を採ります。前任の盧武鉉時代は韓国政治がイデオロギー化した結果、経済が停滞したと主張し、4大河川の土木事業を公約として掲げました。

ソウル市長時代の功績を国レベルで行ってくれるのではないかと期待され、大統領に就任します。

アメリカ産輸入牛肉問題で支持率が低下し、任期末期にはレームダック化が進行し、自身も逮捕しました。しかし、保守政権を存続することに成功しました。

朴槿恵政権

第18代大統領選挙

李明博大統領の任期満了に伴う韓国第18代大統領選挙が2012年12月19日に行われました。保守政権の後継である朴槿恵と進歩派の文在寅の一騎打ちとなりました。その結果、大統領選の投票率が75.8%(前回63% 前々回70.8%)と上昇しました。選挙結果と得票率は以下のようです。

  • 朴槿恵 セヌリ党 51.6%
  • 文在寅 民主統合党 48.0%

この選挙ではクリアに投票率に変化が現れました。若年層が文在寅に、高齢層が朴槿恵に投票しました。地域主義も復活し、嶺南地方で朴槿恵、湖南地方で文在寅がそれぞれ圧倒的な支持を得ました。

嶺南地方の方が人口が多いため、嶺南地方の支持を獲得した方が有利に選挙選を戦うことになります。

大統領弾劾に見る韓国政治社会の構造的特徴

帝王的大統領

韓国政治は大統領を中心に展開されます。比較政治学的にも韓国の大統領は「強い」大統領です。国会の権限をオーバーライドできる権限を持っているからです。

韓国政治は憲法をめぐる政治でした。憲法で議論されてきたのがいかなるリーダーが望ましいのかでした。その結果、9回の憲法改正が行われ、現行憲法の改正については87年の民主化憲法以来改正されておらず、大統領権限を強いものにしています。

韓国は北朝鮮との分断国家であり、常に敵である北朝鮮が近くに存在しています。韓国国民は基本的に北朝鮮と敵対しなければならない関係から強いリーダーを望んでいるとされ、大統領制が支持されています。そのため韓国の大統領選挙は勝てば官軍の激しい戦いになります。1987年の熱望と呼ばれる民主化運動による直接選挙制による大統領選任が韓国国民にとってのアイデンティティになっている部分があります。

その一方で議院内閣制への支持率は非常に低くなっていますが、専門家の間では議院内閣制への支持が大きくなっています。

韓国政治は政治学者・ヘンダーソンによれば渦巻き型の政治と呼ばれ中央集権的な政治が行われています。これが大統領に対して過度な権力が集中し、権力の腐敗が問題になることがままあります。

民主化から30年を迎えた韓国では憲法改正への機運が高まっていますが、実行のための政治的コストが高いと目され、憲法改正への道筋はついていません。

政経癒着と両極化

1960年代から1970年代の朴正煕時代に韓国は急激な経済発展を果たしました。この裏で問題になったのが政界と財界の癒着でした。

少数の企業に特権的に金銭を分配し、企業は経済成長を牽引する構図がありました。この構図が現代までも続いています。

朴正煕政権は経済成長年率10%にも登りました。これを支えたのが輸出指導型の経済モデルでした。その一方で、中小企業は未発達となり、国産化できない問題が根深く残っています。韓国経済はあくまで組み立てて輸出するのが基で世界の貿易事情の影響をもろに受ける経済の構図が問題になっています。

大統領自身が潔白であっても、身内や側近が誘惑に勝てずに任期終了後に捕まっていくのが問題になっています。

保守対進歩

韓国政治における保守と進歩のイデオロギー対決は激しいものがあります。

民主主義への移行と「三金政治」の時代までは民主化勢力か反民主化勢力かの対立が激しかったですが、次第に対立はイデオロギー対立へと移っていきました。

金大中・廬武鉉「進歩政権」10年によって保守派が強い韓国政治の中にも進歩派が一定の根をおろすことになります。

その後の10年は保守派の李明博・朴槿恵政権の頃であり、この頃は保守派からの巻き返しが激しくなりました。これをニューライト運動と言います。

保守と進歩との間の論争の中で本当に問題となるのが韓国の建国をいつにするのかです。1919年を建国とするのが進歩の立場です。民族が本当の意味でまとまった瞬間であったと考えられています。

1948年を建国とするのが保守派の立場です。共産主義勢力から韓国を守ったからとしています。