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【語り】「相撲道」の矛盾性

【語り】「相撲道」の矛盾性

「ばちん」

ふたつの肉塊がぶつかり合い、唸りを上げる。

その轟音は肌と肌がただぶつかり合って出るわけではない。

「相撲道」がぶつかるのである。

 

土俵に上がるということがいかに大変なことなのか。力士たちは知っている。

毎日の稽古。周りからの期待。そして、何より己のプライドと戦っている。

この己のプライドを相撲界では「相撲道」と呼んでいる。

「相撲道」と「相撲道」がぶつかり轟音となる。

 

 

力士にはそれぞれの「相撲道」がある。

力士として自らが正しいと信じる道「相撲道」

100人力士がいれば、100本の「相撲道」がある。

古来より神事として扱われてきた相撲の伝統を背負おうとする者。

故郷のため、異国の地で一旗揚げようとする者。

「強くなる」だけを目標とする者。

どれも立派で正しい「相撲道」だ。そして、残念だが、それぞれの「相撲道」はお互いに矛盾する。

 

どんな盾も突き通す矛とどんな矛も防ぐ盾。

小さな丸の中で行われているのは、このぶつかり合いだ。

決着がつくのかはわからない。つかないかもしれない。

しかし、つけなければいけない。とりあえずは。

 

昭和の大横綱・大鵬はこう言った。

「相撲取りが心をつくるのは、土俵でしかないんです。」

相手との「矛盾」をはらみながら、土俵の上で自分の「相撲道」を表現することでしか、「相撲道」は磨かれない。

いや、「矛盾」があるからこそ、先人たちの「相撲道」は磨かれ、輝かしい「大相撲」の歴史は作られてきたのだろう。

第19代横綱・常陸山は「力士は力の士(さむらい)なり」と言った。

現代に現れし、侍としての「力士」

かつての侍は「武士道」を持ち、現代の士は「相撲道」を持って闘っている。

 

「はっけよーい」

甲高くも落ち着きのある声が場内に響く。4本の腕が静かに降りていく。

まさに今、ぶつからんとす。

 

大相撲夏場所 本日開幕である。