台湾政治のしくみをわかりやすく解説します!

台湾政治のしくみをわかりやすく解説します!

この記事では台湾の政治はどんなしくみなのかを詳しく解説しています。中華民国憲法を基礎に持つ台湾政治体制は日本にはない五権分立の構造であるなど興味深い点がたくさんあります。なかなか見過ごされがちな台湾政治について勉強していきます。

台湾(中華民国)の憲政構造

台湾政治の基本:中華民国憲法

1947年に南京で成立した中華民国憲法が台湾の政治体制の基本になっています。この中華民国憲法では自由民主主義の政治体制を作ることが定められています。

この精神に基づいて、思想信条の自由や自由選挙、政権交代、公務員と軍の政治的中立が定められています。

しかし、中華民国憲法が成立したころは国民党による独裁体制が前提とされていました。そのため中華民国の中には国民党の独裁体制を作るための条項が入っていました。(現在では改正)これに基づいて国民党は1990年代まで権威主義体制(事実上の独裁体制)を敷きました。

しかし、国民党は憲法の中で国民党による支配体制はあくまで「非常時」のものであるとして民主化すべき時が来れば民主化に移行することを憲法の中でも明言します。

一般的に革命は3ステップから成立します。まず革命が発生した直後の軍政から訓政(制限的な民主主義)に移行し、最終的に憲政となるのが一般的です。

中華民国憲法は革命の最終ステップである憲政のあり方についても触れられていました。権威主義体制はあくまで非常状態であり、民主化はあるべき姿に戻す行為であることが明言されました。

結果的に民主化はあるべきに復帰するだけとの考え方は民主派と体制派の先鋭的な対立をもたらしませんでした。そのため国民党による支配は「成功した独裁」と表現することがあります。

加えて国民党自体の理念が穏健的な民主化をもたらしたとも考えられます。国民党の理念は三民主義=民族主義、民権主義、民生主義です。これは極端な革命思想にはいかないイデオロギーであったため極端な独裁にはなりませんでした。

台湾は五権分立

台湾では五権分立と珍しい構造になっています。その五権とは立法院、行政院、司法院、監察院、考試院です。五芒星型に相互抑制が図られるシステムです。

中でも監察院は公務員の活動をチェックする場所です。一般的な文官だけはなく政治任用や民撰の公務員についても監察対象となります。監察院担当は選挙で選ばれるため民意が反映された行政機関となっています。

考試院には日本の人事院に近い機関です。公務員試験の運営や公務員の大軍、昇進などを担当します。かつて台湾の公務員試験は大陸出身者に配慮され、大陸中国を含めた地域区分で行っていました。(北京出身の台湾官僚がいたことになる)独裁体制の中で地域区分が廃止されると台湾人を中心として登用され、極めて公平な試験が行われていました。

主権は国民に存するところ、国民大会に集まった国民代表である議員によって立法が行われます。国民大会では憲法改正や正副総統の選出や罷免、レファレンダム・イニシアチブ代行などが行われます。

総統の地位

台湾の元首は総統(大統領)です。1期4年で2期8年まで務めることができます。現在の台湾総統は重要政策を決定する立場にありますが、歴史的に立場は一様ではありませんでした。

中華民国では元々議院内閣制が想定されていました。議院内閣制とは議会の多数党が行政院長を選出し、内閣を形成し政権運営にあたるシステムです。

元首としては総統=大統領が置かれますが元々は議院内閣制を想定してされていました。大統領制は国家元首が大統領。実権も大統領。議員内閣の方が政治的安定すると決まっています。議会の多数党が国家運営の行政院長を選出し、それを総統が認める流れが想定されていました。

しかし、中華民国憲法では議院内閣制が明記されてるわけではありませんでした。結果的に議院内閣制のシステムは曖昧となり、非常大権を持つ総統の権力が大きくなっていきました。行政院長がただの名誉ポストとなりました。

現在でも台湾では議院内閣制に戻すべきではとの議論があります。しかし、議院内閣制は安定性はあるが意思決定が遅く、非常時の意思決定が停滞する可能性があるとの批判がつきまとい、実現には至っていません。

結果的に大統領制と議院内閣制の折衷案として、民主化移行の台湾は半大統領制となりました。そのため大統領と行政院長が並存しています。

現在の運用ではやや大統領制の政策が強まっていると考えられています。重要政策は総統が決定するようになっているからです。

補足:地方自治

台湾は中央政府を頂点に以下のようなシステムから成り立っています。

  • 省→市→区→里→隣
  • 省→県→県轄市→里→隣
  • 省→県→鎮→里→隣
  • 省→県→郷→村→隣
  • 直轄市→区→里→隣

となっています。

民主化前の台湾の政治

最後に民主化前の台湾政治について確認します。台湾の政治は民主化する前後で大きく異なります。しかし、現在の政治体制にも民主化前の影響が残っています。過去の台湾の歴史を見ることで現在の政治体制の理解に役立ててください。

前提:レーニン主義体制とは何か

台湾の民主化前の政治体制を確認する上でレーニン主義体制について確認してみましょう。

レーニン主義とは共産党による一党独裁体制の国家システムのことを言います。党と国家が一体化した「党国体制」が敷かれ、唯一の革命イデオロギーが国家を支配します。

唯一の党が与党であり、政権交代は否定されます。党が国家よりも上位の存在として考えられ、国家は党の所有物となります。この結果、三権分立も存在せず、司法権が独立することはありません。三権分立は悪しきものとして否定されます。

社会全体も党によって監視・支配されます。統制経済が行われ、日々の生活物資は党や国家から配給されます。国民は党や国家から離れて生活することはできません。

支配政党は国家機構と企業・社会団体のすべてに浸透し、統制をします。すべての団体に党支部が置かれ、幹部が配置されます。この場合、党支部の幹部が当該組織よりも上位の存在となります。

ソ連ではノメンクラトゥーラ制度も導入されていました。ソヴィエトを構成するは人民から選ばれますが、誰を候補者にするかは党が用意したノメンクラトゥーラ(名簿)に基づいて決定されるのです。

レーニン主義体制では軍隊=暴力装置も党の持ち物になります。軍隊が忠誠を誓うのは国民でも国家でもなく党です。ここでは軍隊の中立性は否定されています。

軍が党の支配下にあることを示す制度が政治将校制度(コミッサール)制度です。軍隊は党から派遣された政治将校(コミッサール)の監視下におかれ、彼らの許可がなければ軍事行動を起こすことができません。党へのクーデターを未然に防ぐための制度です。

台湾の場合:疑似レーニン主義体制

台湾の民主化前は疑似レーニン主義体制と呼ばれる政治体制でした。これは上で紹介したレーニン体制と似通ってはいるものの多くの点で異なっている体制で比較的緩い統治体制でした。

国民党による権威主義体制がしかれましたが、国民党のイデオロギーが三民主義であるためにイデオロギー性が希薄であり、革命的な激しいイデオロギーではありません。ある目的の達成のために大衆を動員する力学は働きません。

しかも中華民国憲法では自由民主主義体制が建前として考えられています。そのため台湾の中では政権交代が可能であり、国家と党は別の組織として認識されていました。

権力分立体制も想定されています。五権分立が想定され、司法が独立していることが目指されました。経済体制も資本主義経済が認められ、党や国家と距離をおいて生活が可能になりました。

台湾全国には確かに国民党による党支部が網目のように張り巡らされました。しかし、その支配力は弱いものでした。国家機構や企業、社会組織内の党支部は当該組織体の幹部会議によって意思決定されました。

ソ連で導入されていたノメンクラトゥーラは台湾では中央政府任用職以外存在しませんでした。党支部による支配が非常に弱いものでした。軍部には政治将校もどきが存在して、国家暴力装置が事実上の「党下」となりました。

戒厳令と動員戡乱時期臨時条款

民主化を実現する以前、台湾では国民党による独裁制でした。1948年〜1991年は憲法で定められた「動員戡乱時期臨時条款」が発動されました。共産主義テロリストが国内に蔓延しているとの建前がつけられ、国民党の独裁が正当化された時期です。

この「動員戡乱時期臨時条項」は時限が定められていたはずが延長を重ねました。この条項が憲法に優越したことで総統の非常大権が認められ、総統は任期を制限なしに延長できました。

また各種選挙も凍結されたため、1946年に一度選挙に当選した議員が終身議員となったケースもありました。このことに批判が相次ぎ、改選議員を次第に増加させることで対応しました。

この「動員戡乱時期臨時条項」に並行した形で1949年から1987年にかけて戒厳令が発令されました。世界最長の戒厳令として知られます。

戒厳令下では軍事法廷や検閲が行われ、政府が市民社会への監視を強めました。この時期は動員戡乱時期臨時条項とも合わさり、報禁(国民党寄りでない新聞の新規発行禁止)と党禁(国民党以外の新しい政党の結党禁止)が行われました。

そのため国民党に反発する人々は自らの党を作ることができないので党外人士として無所属の活動を続けました。国民党独裁政権はこれを取り締まることはありませんでした。

独裁政権といいながら国民党による支配はそこまで過激で圧迫的なものではありませんでした。国共内戦時に構築した政治システムからの反省があったからです。独裁政権ではありながら資本主義社会と経済体制が結びつき、党が支配する構造が作られました。

まとめ

台湾の政治についてご紹介してきました。なかなか知る機会のない台湾の政治。でもつい先週にあった台湾総統選をきっかけに興味深い台湾の政治について知る機会になれば嬉しいです。