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雪だるま式ブログ論について語るよ

雪だるま式ブログ論について語るよ

納得しながらブログを書こう

3月に始めたブログ。いい感じのペースで書き進めていくことができています。

しかし、今後も末長くブログを作り続けるためには、自分の中で納得しながら文字を紡ぐ必要があるわけです。持続可能なブログは自分の気持ちからしか生まれないと思います。

自分がどんな文章を書くのか。何をテーマにするのか。どんな写真を乗っけるのか。これらを自分のなかで一つ一つクリアにしながらやっていかないと、納得することはできないでしょう。

「書きたい 書こう!」

勢いに任せて書き始めたブログでした。ここまではゴリ押しできました。そのゴリ押しの中で、ここ足りないなとか、もっとこうありたいとか、こんなスキル必要だなとか、たくさんのことが見えてきたのです。

ブログは手段に過ぎません

語彙力 文章力 情報収集力 カメラの撮影力 お笑い力 などなど

語彙力に関しては「美しい日本語の辞典」を読んでみたり、情報収集力に関しては「NewsPicks」を日々漁ったりしています。自分の中でのアクションが増えているのです。

しかし、これらを「全てはブログのため」という意識でやっているとオワコンです。手段と目的が倒錯しています。「ブログ」はあくまで手段なのです。

このように「ブログ」というアクションを回すために、いろいろな行動を起こす必要がでてきているのです。

その行動が行動を呼び、やりたいことが増えていきます。行きたいところも増えていきます。

「ブログ」という雪だるまを作ろうとして、コロコロ回していたら、あらびっくり、いろんなものがくっついてきて、とんでもなく大きな雪だるまになってしまいそう。そんな感覚です。

これが「雪だるま式ブログ論」です。

とんでもなく大きな雪だるまになってしまって、扱えそうもなくなったら、「ブログ」をやめてしまってもいいでしょう。そのような段階になったら、もはやブログというものが自分の行動を支えていないということになるからです。

アクションが多くなっていることは自分にとって現在望ましいことです。今はタネを蒔くフェーズだからです。

今後も僕のアクションを支える基盤として、「ブログ」が少しでも存在するのならば、僕は「ブログ」を書き続けます。今はまだ、書き続ける場面なのです。

話を拡張させます

「雪だるま式ブログ論」は別にブログに限ったことではなく、仕事、勉強、恋愛?に置いても同じだと言えます。

勉強を例にとってみます。

よっしゃ。「北朝鮮」に関して勉強するぞといっても、一般的に「歴史」「経済」「文化」とはなんぞやということを一通り学習していなければ、いきなり「北朝鮮の歴史」や「北朝鮮の経済」、「北朝鮮の文化」などの勉強をしても、本当の理解はできないと思うのです。ある一分野に関して、勉強しようと思ったら、他にも勉強することが出てくるのは間違いありません。

このように一つのアクションは必然的に複数のアクションを招きます。

枝分かれしたアクションを一つ一つ詰めていくことは大変なことです。ですが、もともとのアクションを質高くやるためには避けて通れない道かと思います。大変だなあ。

しかも、枝分かれした先に自分の本当にやりたいことが眠っていたりするもんだから、難しくもおもしろいのでしょうね。

逆に言えば、「自分ってなにやりたいかわからない…」という方はブログを始めれば、やりたいことが増えて、やりたいことも見つかるかもしれません。

以上、今回は雪だるま式ブログ論についてでした。