祝100周年!ヴェルサイユ条約で世界はどうなった?

祝100周年!ヴェルサイユ条約で世界はどうなった?

ヴェルサイユ条約と国際連盟規約

1919年6月28日にヴェルサイユ条約が締結されました。このヴェルサイユ条約はドイツと連合国との講和条約。この条約ではドイツに対して非常に厳しい制約が科され、軍備制限、領土割譲、賠償金、ラインラントの非武装化などが決められました。

しかも、ヴェルサイユ第231条ではドイツのみが第一次世界大戦の原因であるとされました。これを「戦争犯罪条項」と言います。この条項が戦後処理に対してドイツ国内で激しい批判が湧き上がる原因となりました。

連合国はドイツがこの条約を調印・批准しない場合には戦争を再開させる宣言をしていたためドイツとしても受け入れざるを得ませんでした。

ヴェルサイユ条約を皮切りに次々と講和条約が結ばれていきます。9月10日にはサンジェルマン条約(対オーストリア講和)、9月19日にはヌイイー条約(対ブルガリア講和)、1920年6月にはトリアノン条約(対ハンガリー講和)、8月にはセーブル条約(対トルコ講和)が結ばれました。

パリ講和会議自体は1920年1月16日に国際連盟が正式に成立することで正式に閉会となりました。

しかしこの国際連盟には国内の反発もありアメリカは参加せず。第一次世界大戦を通じて多くのドイツ帝国やオスマン帝国などこれまでの世界秩序を担ってきた多くの国家が滅亡しました。それらの秩序に変わり、民族主義による国際秩序を作ろうとした国々も多くいました。

一連の会議の結果を受けて、イギリスの外交官・ハロルド=ニコルソンはこのように述べています。

我々は新秩序が形成されようとしていると確信してパリへやってきた。我々は新秩序が単に古い秩序を破壊したと確信して、ここを去ったのだ

パリ講和会議におけるウィルソン大統領の挫折は現代史における最大の悲劇のひとつである。この失敗はだいたいにおいて、彼自身における知性と性格の欠陥によるものだ

パリ講和会議では戦勝国がドイツを懲らしめることにあまりに注力してしまいます。その結果、ウィルソン大統領が会議前から主張していた民族主義の概念は浸透せず、戦争の勝者によるある意味独善的な外交が展開されました。

このパリ講和会議における外交の結果、厳しい条件を出されたドイツは国内の不満が溜まり、最終的にはヒトラーというバケモノを生み出してしまいます。

パリ講和会議からわずか20年あまりでもう一度世界大戦に突入する結果になったことは確かにハロルドの言うように現代史における最大の悲劇の一つなのかもしれません。