ブログを書くのってとても理不尽だよな
- 2018.07.04
- ブログ運営

ブログというのは私にとってかなり新鮮な体験です。と同時に、とても理不尽だと感じます。というもの、「生みの苦しみ」を味わうことができるからです。
「生みの苦しみ」の一つ目の側面
これまでの人生、「生みの苦しみ」を味わうことはなかなかなかったわけです。勉強が人生の中心でしたから、与えられたものを消化する。そして、それをテスト用紙に吐き出す。これが人生の中心でした。
受験勉強という枠組みでは、なかなか「生みの苦しみ」は体験することができません。「答え」と時間的な制約があり、どうしても「答え」への過程を意識してしまうからです。
ブログを通じて「生みの苦しみ」を体験できたことは、これまでにない経験ができたということで、本当に運がよかったと感じています。
さて、「生みの苦しみ」を味わう体験というものはとても矛盾に満ちた体験です。
一般的に「生みの苦しみ」といえば、ゼロからイチを生み出すこと。このプロセスの大変さをいうわけです。何かを模倣したり、何も考えずに受け入れてしまうことは確かに簡単なことかもしれません。しかし、その誘惑に勝って、自分で何かを作ろうとすることの苦しさが「生みの苦しみ」というわけです。
なぜ「生み」が苦しいかといえば、自分の「生み」が本当に他のものの模倣になっていないかを確認しないといけないからです。
ネタを思いついても、それが他の人と被っていないのかを確認する必要がある程度はあります。世の中に大量に放出されているものを自分がネタにしてもそんなに需要はないのでね。
いうまでもありませんが、僕がブログを書く上で、模倣している人はいませんし、ブログの師匠のような人もいないわけです。全ては私の頭の中で生産された言葉をキーボードに打ち付けるしかありません。
これは確かに苦しい。まさに「生みの苦しみ」この体験にどっぷりつかるととても疲れます。しかし、面白い。自分がこんなことまで考えられるのか。想像力が及ぶのかと褒めちゃいたいところもありますね。
もう一つの「生みの苦しみ」
もう一つの「生みの苦しみ」があります。
苦しんで生んだのだから、少しばかり僕だってご褒美が欲しいわけです。それがページビュー数やブログ収入で達成されたら、嬉しいことです。しかし、どうやら僕のブログの書き方は報酬に直結する方法ではないらしいということがわかってきました。
記事の質がブログ開始当初から上がってきているとは思っています。質は上がっても、ブログの流入数はなかなか増えないわけです。
そして、これはインターネット上に出している文章の特徴かもしれませんが、読み飛ばされる可能性が極めて高い。そして、タイトル勝負であるということ。そして、そもそも生み出される記事が膨大だということ。これらのことは僕の記事を抹殺するには十分すぎるファクターです。
自分が必死こいて、ない脳みそ振り絞って、世の中にリリースしたものが、僕でもわかるようなクソ記事に淘汰されるのは、別の意味で「生みの苦しみ」であるといえましょう。
ゼロの状態からイチを作る苦しみ。その苦しみを乗り越えて作成された自分の作品が、並み居る競合の中で、淘汰されていく。読み飛ばされていく。実際の社会の縮図が「ブログ」と「インターネット」との関係に現れているのでしょう。
そんな「生みの苦しみ」の理不尽さに立ち向かうことはとても大変かもしれません。しかし、ここでやめてしまったら勿体無い。理不尽を自分から進んで受け入れる体験をしているなんて自分はとてもおかしな人間でしょう。そしてその理不尽さはブログを書き続けていれば、ずっとついて回るものです。
それでも理不尽さを受け入れて、書くのです。理不尽さを受けれて書くことでしか見えない世界があると思うからです。
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