近現代の中国を理解するために必要な視点をまとめました

近現代の中国を理解するために必要な視点をまとめました

伝統中国の理解をめぐってー「永遠の停滞」「静止した不変の社会」

19世紀ー20世紀欧米の中国観

伝統中国はアヘン戦争契機に近代への道を開いたと考えられています。中国にとって近代は外からの圧力を受けたものでした。最近までこの時代の中国イメージはこの認識からもたらされたものでした。

19世紀のヨーロッパの中国イメージは「永年の眠りについた不変の社会」が中国ヘーゲルによると

我々の目の間に世界一古く、過去なき国が存在する

とのこと。さらに

現在の中国が過去の中国とはまったく同じ姿であり、近づいてみれば見るほどまったくその醜悪な様子にうんざりする。4000年醜悪な姿を保持し続けてきたのが中国である。

とまで言っています。

ヘーゲルのように中国に対して極めて辛辣な考え方をするヨーロッパ知識人は多くいました。

ヨーロッパから中国に対して変わらないことはよくないとの目線が注がれていました。ヨーロッパで産業革命が始まって以来、変化は進歩だと見なされるようになっていたからです。そのため変わらない中国に対しての見方も否定的なものになりました。

明治維新によって大変革を成し遂げた19世紀日本との比較によって、より中国の不変性は際立つようになります。

西洋からの衝撃(ウェスタンインパクト)によって近代日本は国内を変えることに成功しますが、中国は変わることができませんでした。しかも中国は列強の半植民地になってしまう始末。

この変化しない中国というイメージは我々の中国へのイメージを規定してきました。ウィットフォーゲルの「東洋的専制」論では中国社会は水利社会の典型であり、外部からの衝撃を受けない限り、その社会構造を変化させることはないと論じられています。

水利社会とは巨大な水利事業が強大な権力によって行われる社会のことです。

中国社会においてはあらゆるものが相互不可分に網の目のように張り巡らされています。そのために社会秩序が安定しており、重大な変化のファクターが社会秩序の中から生まれることはないと考えられていました。

中国研究者の中でも

  • 19世紀半ばを迎えるまで中国社会は眠り込んでいて、外からの衝撃を受けない限り起きることはない
  • 西洋諸国だけが大きなインパクトを与えられる
  • 中国の中での衝撃によって中国を近代化へと向かわせた

この3つの命題は東洋・西洋の研究者の中で多く受け入れられていました。中国の研究者も全面的にではないにせよこれらの命題を受け入れていました。

これらの命題に対してどのように中国現代史研究が立ち向かってきたのか確認します。

中国近現代史に対する三つのアプローチ

中国研究は西洋中心主義のアプローチによって特徴付けられていました。代表的な学説を3つご紹介します。

衝撃ー反応アプローチ

Cohen:19世紀中国に最も大きな影響を及ぼしたのは西洋との出会いであったとしている論。「衝撃」という言葉が暗示しているように、この時の中国社会において能動的であったのは西洋であり、中国は受動的だったと考えています。多くの日本人研究者もこれを受け入れました。

ウェスタンインパクト→洋務運動&変法運動→西洋の技術を導入

の構図が多くの研究者の中で受け入れられていました。

この図式は中国近代史をもっともらしく説明できるように思えます。しかし、辻褄があったとしても本当のこととは限りません。

中国社会が革命に向かっていったのは、ウェスタンインパクト以前に始まっていた中国自身の社会の変化の帰結だと考えることができるからです。例えば、洋務運動にしても当時の文章を見てみると、西洋の衝撃への対抗よりも国内の反乱に対応するものとして理解されていました。

伝統ー近代アプローチ

歴史は基本的に伝統的段階と近代的段階の二つに分類できます。これらは独立していて両立することが不可能と考えるのが伝統ー近代アプローチです。

静かな村が活気あるプロセスに変わっていく段階が近代的段階です。この段階で社会は効率的に組織化され、人々は活動的になり、豊かになります。これは西洋が辿ってきた道であり、ヨーロッパ各国はこの流れを西洋以外の社会もたどると考えていました。その必然的な帰結として非西洋社会もまた西洋的な装いになると信じられていました。

西洋に直接接触するまでは伝統の枠の中で中国は変化してきましたImmmanuel Hsu によれば1600年から1800年に至る200年間は中国の社会・経済・思想などはそれに先立つ2000年間となんら変化はなかったとのこと。西洋との出会いが中国を伝統社会から引き摺り出し、伝統社会から決別する契機になりました。

この前提に立てば、研究者は西洋が経験したような変化を中国社会から見いだすことが研究者の仕事となります。

このアプローチも重大な問題を抱えています。伝統と近代ははっきりと区別できるのかの問題があるからです。伝統と近代がごちゃ混ぜになり、伝統によって近代が強化されるようになることもあると考えられるからです。

近年の思想史でも、近代中国は口ではラディカルな思想を唱えながらも儒教としっかりつながっていたことが明らかになっています。

個人もトータルに変わるなんてことはあり得ません。それと同じことで、中国でも伝統と近代は入り混じっています。

しかし、西洋のフィルターを通じて、中国を観察すると、中国で「大きな」変化とされるのも西洋基準で設定されてしまう危険があります。

その結果、西洋が経験しなかった経験が無視されてしまいます。しかし、近年の研究では中国の伝統的な社会構造がウェスタンインパクト以前に大きく揺さぶられていたことを明らかになっています。

様々な変化が当時の中国を襲っていました。たとえば驚くべき人口増加です。1億5000万人から3億人へと急激に人口が増加していました。

これは人口学の常識をひっくり返す大事件です。生産力が上がると同時に人口が伸びると考えられていたのに中国では生産力が上がる前に人口が増加したのですから。

加えて物価も上昇しました。300%の増加!この時期には経済競争の激化と貨幣経済の定着が見られるようになります。そのため伝統中国社会には商品経済が導入されていました。

我々は西洋の出会いから初めて中国が変化したと見るよりは自分の重さで変化する中国に西洋が変化を加速させたと考えるほうがよいように思われます。

帝国主義アプローチ

毛沢東によると

近代中国の歴史は帝国主義侵略の歴史であり、帝国主義者の妨害の歴史である

一部の研究者はこの毛沢東の言葉に従って、「帝国主義」なる言葉が最も中国近現代史を表す言葉だと考え、中国停滞の理由を帝国主義に見出そうとします。

James Peckも1949年以前に中国革命が成功しなかったのは帝国主義の力があまりに強大で、中国市民が社会を動かそうすらできなかったと主張します。

西洋諸国は中国に進出したことで、中国を近代社会へと連れていけたよいことだと考えていました。しかし、帝国主義アプローチをとる研究者によれば、西洋介入は否定的に考えられるようになりました。

Frances Moulderはウォーラーステインの世界システム論に従って論理を組み立てます。ウォーラーステインはグローバルな経済システムの中で国の発展度合いは変わってしまうと主張していました。

Moulderはなぜ日本だけが非西洋地域で資本主義大国に唯一なることができたのかについても述べています。それは日本に対する西洋の衝撃が中国に加えられたものと比べて比較的穏やかだったからと主張します。

19世紀半ばまで西洋諸国は日本に対しての関心度は比較的低く、政治的束縛を中国ほどは行いませんでした。日本はそこで時間稼ぎをすることができました。

そこで日本は中央集権化を進めると同時に工業化を路線に乗っけることができました。しかし、中国はついぞその機会に恵まれることはありませんでした。

この帝国主義アプローチにも問題点はあります。西洋が中国に与えた影響を過大評価していると思われるからです。西洋は確かに影響を及ぼしたが、中国社会の進路を決定してしまうほどであったかは疑わしいところ。

マイナスのものであれプラスのものであれ、中国への影響は大したことではないとするのが近年の定説です。中国にとっての西洋は大きな象にとってのノミにしか過ぎないとする考えもあります。

このような議論に対しては、もう一方の極端に走ってはいないかの疑問が浮かび上がります。すなわち、中国に西洋が与えた影響を過小評価しているのではないかという視点です。加えて中国が自分自身に与えた影響を過小評価しているのではとの疑問もあります。中国が受けた苦難は中国人の心理に与えた影響は絶大でした。中国人は帝国主義を中国の存亡がかかった危機だと考えて行動したからです。

なぜ中国が西洋中心主義的な歴史の解釈図式を受け入れたのか?

どうして中国人自身が西洋中心主義によって特徴付けられるような中国現代史を受け入れてしまったのでしょうか。それは中国社会が停滞した原因を中国の外部からのやってきた出来事に押し付けることができるからです。

しかし、もし中国に帝国主義が介入してこなければ、中国は自分自身でその発展を推進することができたのか否かはわかりません。

西洋主義的な歴史解釈を受け入れることで得をするのが現在の中国共産党です。中国共産党による革命グループは次第に深まる中国の危機が帝国主義と封建主義勢力によるものと喧伝します。その重苦しい時代から解放したのが革命を起こした中国共産党でした。

西洋中心主義の歴史観は19世紀中国をより暗い時代にします。それゆえにその暗い時代を解放した革命家をより引き立てることができるために西洋中心主義が革命家たちに利用される奇妙な状況となっています。

新たなアプローチ:「中国自身に即したアプローチ」

中国自身の内発的な変化の重視

従来のアプローチはアヘン戦争以来の中国の歴史を動かしたのは西洋諸国だとの仮定のもとに議論を進めてきました。

この仮定を受け入れることは重大な問題を引き起こします。中国国内の社会的・経済的変動を見落としてしまうからです。これでは何が重要で意味のある変化なのかを西洋が独断と偏見で判断してしまい、中国自身の視点が抜け落ちるからです。

上で紹介した「近代化アプローチ」では西洋が解放者、「帝国主義アプローチ」では西洋が悪魔と規定されました。つまり西洋に極端な役割を付与されているのです。

新しいアプローチでは中国自身に即したアプローチが行われるようになりました。ここでは中国は西洋の従属変数ではなく、中国自身の自律性に注目されるようになりました。

具体的には中国自身の内発的な変化が重視されました。中国が直面した問題の中には太平天国の乱のように西洋の存在がなかったとしても噴出したであろう問題があるからです。

地域や地方の重視

中国を扱いやすいように小さな単位に分割することも必要でしょう。帝国主義の影響が及んだのは帝国部分であって、帝国主義が投下した資本がその地域の経済発展に望ましい結果をもたらしたケースもあれば、その逆もあるからです。

伝統との連続において歴史を把握する傾向

伝統との連続の中で中国を把握することも本当に大切なことです。伝統と手を切ると言って始まった中国革命も幾分かの古い中国の要素を持っているものだからです。