【厳島神社】観光地に自分の文脈をつける
- 2018.05.31
- 広島

5月27日。午後。広島旅行3日目。
昨年の夏以来、すっかり瀬戸内海の虜になってしまった私は、今回、宮島へ向かいました。
日本三景の一つ・安芸の宮島として、天下にその名を轟かす、瀬戸内海の景勝地です。
瀬戸内海の大ファンである僕にとって、この宮島はとても大きな意味を持っています。
その理由は、宮島には厳島神社があるからです。
厳島神社を知る
厳島神社は瀬戸内海と宮島に挟まれながら鎮座しています。その姿は
寝殿造りの様式を神社建築に巧みに取り入れ、瀬戸内海を池にみたてた壮大な発想で平安の雅(みやび)を映した究極の日本建築といえます。
というものなのです。
厳島神社のその姿
「究極の日本建築」という言葉が象徴するように、フェリーからみる厳島神社の姿は、瀬戸内海の青々しい姿とは対照的な真紅の姿を見せつけています。
瀬戸内海に佇む大鳥居の姿はどこか官能的であり、それは潮の満ち引きによって、その姿が容易に変化しうるものだからでしょうか。
そこには瀬戸内海を見守り続けてきた、大鳥居の「誇り」のようなものを感じてしまいます。
「間違いない」と思ったのです。大好きな瀬戸内海が古来より名勝たり続ける理由はここにあるのだなと。
僕にとっての厳島神社
厳島神社は世界遺産である。これは間違いのないことです。
しかし、僕にとっては、瀬戸内海の島々を守る総本山なのです。瀬戸内海の白眉な風景を守り続けてきたのが、この厳島神社のような気がしてなりません。だからこそ、厳島神社は僕にとって重要なものなのです。
僕にとっての観光地論
観光地に自分なりの意味を持たせることができる人生はそれがこじつけのようなものでも、人生を少し豊かにしてくれると思うのです。
「僕にとって」という言葉を大切にしていけば、旅行を自分の中に残し続けることができると思うのです。
舌代。
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