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僕は「意識高い系」なのだろうか

僕は「意識高い系」なのだろうか

意識高い系大学生の問題の本質

こんにちは。アキです。大学生活も2年が過ぎようとし、一般的には折り返し地点にさしかかっています。

この2年間、多くの人と出会い、多くの土地を訪れ、いろいろな経験をしてきました。とても楽しい大学生活です。しかし、その中で僕がずっと抱えていた悩みがあります。それは「僕は意識高い系大学生にはなっていないだろうか」という問いでした。

1年生のころからインターンをしたり、社会人の人が多いサロンに参加してみたりと側からすれば「うわ。意識たけえw」と思われることをたくさんしてきました。

もしかしたらこのブログを書くという行為もまた「意識高い系w」の行動なのかもしれません。

まあ自分の行動を周りの奴がどう評価するか気にするなんてダサいことなんですけどねえ。みんなそんな自分のこと気にしてないですから。

さて、僕自身、こんな悩みを持つのはなぜなのか。それは僕自身が「意識高い系」の大学生を忌避しているからです。

意識高い系大学生といえば、スタバでドヤ顔でMacbookを開きながら作業したり、むやみやたらにカタカナ語を使ったりする大学生のこと。

例えば、こんな感じです。うちの大学のSFCに多いイメージ。

A「この間、熱海行ってきた!ホテル綺麗だった〜。」
B「え、いいね〜!海見えた?」
A「ううん、アサインされた部屋がシティビューだったから……」

https://info.asahi.com/magazine/2016/10/000716.html

カタカナだらけです。これは困ったことです。日本語で言えばいいものをわざわざわかりづらくしているからです。

こんな「意識高い系大学生」を意識高い系大学生の尊師になっている落合陽一はこうも断罪しています。

自己啓発書やSNS上のオピニオンリーダーの言うことを真に受けた人が「いわゆる意識高い系」の大学生になったりする。これはかなりマズイことで、正直、いまの中学生や高校生にはとりあえず「意識高い系だけにはなるな」と言いたいぐらいです。

『これからの世界を作る仲間たちへ」

「意識だけ高い系」という言葉の解釈にもいろいろあるでしょうが、僕の見たところ、無駄な自己アピールなどを除くと、その第一の特徴は、本人に何の専門性もないこと。もうひとつは、専門性がないがゆえに自慢するものが「人脈」か「評価されない活動歴」「意味のない頑張り」程度しかないことです。意識だけが高く、そして高い意識を評価されない。

 彼らはよくサークルや学生団体を作り、「ミーティング」や「勉強会」や「イベント」「メディア作り」などと称して仲間と集まるのが好きです。外資系のホワイトカラーやソーシャルビジネスをやっている大人たちと接点のあるタイプも多いでしょう。そういう「つながり」の中で仕入れた知識をドヤ顔で吹聴することで、夜な夜な飲み会に行って「自分すごい」をアピールするわけです。

しかし、そこから出てくる情報には、その人が自分で考えたものが何ひとつありません。いろいろな知識を広く浅く持っているだけで、専門性も独自性も何もない。これでは、ただの「歩く事例集」です。

落合陽一氏 「意識だけ高い系」と「真の意識高い系」の違い
こんな感じです

こう見てみると、カタカナワードをたくさん使ったり、スタバでMacをいじったりすることは「意識高い系」の本質ではありません。

意識高い系大学生の問題の本質。それはは自分の言葉で考えることをやめ、一流の人の言葉を使って自分をすごく見せようとすることです。

僕は、思考停止して、虎の威を借る狐な「意識高い系」大学生が嫌いなのです。自分もそうなりたくないと思ってきました。

意識高い系に自分がなってしまった!?

しかし、2年間を振り返えってみると、自分自身が「意識高い系」の枠を出ない人間なのではないかと思ってしまいます。

この2年間で自分は何も残せていないのではないかと思うからです。

結局、2年間でいろいろやったけど、自分で何も生み出せていない。これでは自分はやはり忌み嫌ってきた「意識高い系」大学生に過ぎないのではないか。

そういう思いが頭をもたげてきます。

僕自身が「意識高い系」大学生にならないようにするには、思考し、自分の言葉で伝え、何かを伝え続けることが必要になるんだろうと思っています。

しかし、これは抽象的な目標です。具体的でないので自分でも目標を達成しているかどうかわからない。

だから、僕はこの場で文字を紡ごうと思うのです。記事を更新し続けることが、この目標を達成する一つの手段なのではないかと思っています。

忌避すべき「意識高い系」大学生に自分自身がならないように、これからの大学生活も自分の頭で考え、行動し、決断していく必要があるんだろうと思っています。

最後に

僕が敬愛しているブロガーに「意識高い系中島」という方がいらっしゃいます。

彼の言葉の中に「意識は低いより高い方がいい」という言葉があります。確かにそれはそうなんでしょう。

意識は低いよりも高い方が自分の人生に対して真摯だからです。

どうすれば意識を高く持ち続けることができるのか。難しいですが、やりたいことは全部やるという姿勢は意識を高く持ち続けるために一番いいマインドなのではないかと思っています。

やりたいことは全部やる。これは言うは易し行うは難しでしょう。でもなんとか実現したいものです。

しかし、自分が意識が高いことにあぐらをかき、他者を見下すこともまたおかしなことなんだろうと思っています。

意識が高いかどうかで人間の価値は決まらないからです。

なんだかうまくまとまりませんでした。

本当に最後。

自分の頭で考え、決断し、行動し続けることこそが楽しい人生であり、自分に対しても真摯であると思っています。そのマインドを「意識高えw」と嘲笑ってくる人がいても、それは関係ないことです。

「意識は低いより高い方がいい」のですから。