初めての文民政府・金泳三政権について丁寧に

初めての文民政府・金泳三政権について丁寧に

この記事では韓国の金泳三政権について解説しています。初の「文民政府」として有名な金泳三政権ですが、彼が何を目指し、何をしたのかについて解説していきます。

盧泰愚政権から金泳三への過渡期

韓国大統領は任期が終盤になるとレームダック化が激しくなり、次の大統領選に向けて政界再編の動きが活発化します。

ここでは盧泰愚政権後期から次の大統領選挙までの政界再編の動きを確認してみましょう。

盧泰愚政権の議会では大きく4つの党が議席を分け合っていました。盧泰愚派の民政党、金泳三の統一民主党、金鐘泌の新民主共和党、金大中の平和民主党です。

有力な大統領候補と目されていた金泳三はこの中でも民生党とタッグを組むことに決めました。そこに合流したのが金鐘泌でした。こうして三党合意によって民主自由党(民自党)が結党されました。有力候補がいなかった与党・民正党としても金泳三を取り込めるメリットは大きかったのです。

もう一人の大統領候補である金大中はこの政党合流からはじき出され、大統領選では不利な立場に追い込まれました。

第14代大統領選挙

盧泰愚の任期満了に伴う第14代韓国大統領選挙は1992年12月に行われます。ここでの得票率は以下のようです。

  • 金泳三 42% 
  • 金大中 33.8% 
  • 鄭周永  16.3%

得票率42%をもってして、金泳三が勝利しました。韓国史上初めて、軍人を経験していない文人が韓国大統領に就任したのです。金泳三政権が「文民政府」と呼ばれる理由もここにあります。

金泳三の政策

文民政府といっても、その内情は多数の軍人出身者やかつての与党系議員のメンバーが入り混じり、保守派と進歩派が共存する奇妙な状況となっていました。

文民政府がまず着手したのが軍の非政治化です。韓国軍の中にはハナフェと呼ばれる私的な組織が存在しており、癒着や不正蓄財の温床となっていました。文民政府だからこそ踏み込める領域に金泳三は踏み込んだのです。

加えて行ったのが金融実名制です。信じられないことにそれまでの韓国では銀行口座の名義を明らかにしなくてもいいなどの実名制が取られていませんでした。金融をよりクリーンにするための政策が実行されました。

しかし、その中でも文民政府らしく政治の透明化に尽力し、「新韓国の創造」のキャッチフレーズを体現し、当初は高い支持率を誇っていました。

支持率低下と「歴史立て直し」

初の文民政府として金泳三政権は就任直後高い支持率を誇っていました。しかし、2年目からは支持率は低下していきます。

下がる支持率を食い止める止めるために金泳三が行ったのが「歴史立て直し」です。これは第5共和国(民主化前)の不正を暴露し、韓国の歴史を文字通り「立て直そう」としたのものでした。

これによって盧泰愚と全斗煥の二人の元大統領は死刑判決を受けることになります。(のちに恩赦)金泳三は第5共和国時代の有力者と組み、大統領選挙に勝利したにも関わらず、彼らを死刑判決に追い込むことは信じがたい扱いです。

「歴史立て直し」によって国内世論の支持を取り付けたかった金泳三ですが、1996年4月の総選挙に苦戦するなど任期後半はレームダック化が深刻になります。

韓国大統領は任期後半になるとレームダック化が激しくなり、次の大統領選挙を睨んだ政界再編への動きが加速します。韓国では国政レベルの選挙がほぼ毎年行われ、特に総選挙は韓国の大統領にとって中間評価の意味合いを持ち、重要な選挙です。ここに勝てないと極めて厳しい政権運営を迫られることになるのです。

その中でも「世界化」を目指して、OECDの加盟を実現したことは韓国が先進国の仲間入りを果たしたことを印象付けました。

「IMF危機」と金泳三政権

しかし、金泳三政権は経済政策の失敗が明らかになります。「IMF危機」の発生です。金泳三政権が進めた過度な自由化と政治不正によって韓国経済は悪化しました。

起亜自動車の倒産や「韓宝鉄鋼グループ」への不正融資発覚など経済問題が噴出し、韓国の国家信用格付けが下方修正される事態となったのです。

結果的に株価は大暴落し、政府はIMFに支援を要請します。クリーンな政治を目指した初の文民政府・金泳三政権も度重なる経済問題での失策でその評価を落としてしまいました。