小学生YouTuber ゆたぼん現象が意味するところは何だったのか?

小学生YouTuber ゆたぼん現象が意味するところは何だったのか?

トレンドを少し外して投稿する方がよいと考えます。なぜならそのほうがより価値ある情報を丁寧に公開できるからです。

さて、ゆたぼんをどのように思うのかについての私見を述べます。このテーマを扱うのは、いわゆるブログ界隈に関して通じるところがあるからです。

ゆたぼん概要

「ゆたぼん」は小学生のYouTuber。「少年革命家」を名乗る彼は、不登校である自らの運命を正当化し、「不登校は不幸ではない」と主張する動画を投稿しています。

この「少年革命家」は5月5日の琉球新報に取り上げられ、一躍、時の人となりました。「革命活動誌」なるイキった名前のブログをやっている僕としても放っておけない人です。

彼が学校に行かなくなった理由は「宿題を強制されたから」「他の子どもたちがロボットに見えたから」らしく、将来はボートで世界中の子どもと世界平和を作り出すことが目標のようです。

このゆたぼんの「生き方」が新聞に乗るや、否やSNSを中心に様々な意見が噴出、炎上の様相を呈しました。続々と有名人も彼についての意見を述べまくる始末。

彼の活動がなぜこんなにも議論を巻起こすことになったのでしょうか。それには昨今の「自由な働き方」「脱社畜」的な考え方が多分に作用していると考えられます。

「脱社畜」のうねり

ブログを書いていてつくづく実感するのは、ブログを書くことによって今の社畜的な働き方から解放されると考えるひとがあまりに多いことです。

イケダハヤトさんを筆頭に「脱社畜」的な考えは、その甘言的な側面から多くの信者を獲得しています。「楽々月収30万円」のような言説に踊らされ、ブログをはじめ3ヶ月で儲からないことを悟り、消えていくブロガーのなんと多いことか。

「脱社畜」的な人から見て、ゆたぼんはまさしく「自由な人生」を体現する人物です。

会社にとらわれない自由な人生を謳歌したい!そう考えている「脱社畜」的な人はゆたぼんを擁護しない訳にはいきません。ゆたぼんを否定することは自分を否定することと同義だからです。

自由な生き方を実現しようとするゆたぼんの姿を自分自身の願望に重ね合わせているのです。

近年、隆盛を見せる「脱社畜」的な流れ。彼らの存在がなければ、ゆたぼんを擁護する声はより小さなものになっていたでしょう。

SNS(特にTwitter)は人種のるつぼ。何も脱社畜的な人だけがいるわけではありません。

ゆたぼんを擁護する人がいれば、批判する人もいます。彼が目指そうとする生き方を頭ごなしに否定するのです。

「しっかり学校に行くべき」

「義務教育は義務なんだよ」

「YouTubeに投稿しないで登校しろ」

最後のボケって結構面白いですよね。

それはそれとして…

なぜ他人の人生に首を突っ込むのか

ゆたぼんが実際にどのような人生を歩むかは究極的にはどうでもいいことです。他人の人生を礼賛するか。それとも叩くのか。そんなこと、本来なら無駄なことです。

ではなぜ、人はそんなことをしてしまうのか。それは自分の人生を自己正当化したいからに決まっています。

他の人の人生を「引用」することによって、自分の人生を正当化しようとするのです。誰しもが自分の人生を認めてもらいたいと思うはずです。しかし、人は弱い生き物です。自分の人生をその人自身の体験や経験、言葉だけでは表し、認めてもらうことはできません。

だから、他の人の意見や考え、行動を借りて自分の人生を正当化することになります。今回、ゆたぼんが堂々と自分の人生を世間に公開したことで、彼は弱き人間たちの「引用資料」になったのです。

私見:同じ「革命」を標榜する者として

僕はこのゆたぼんを見て、うらやましいなと思いました。

小さな頃から自分で裁量を持って、やりたいことをやる。これはかけがえのない経験だと思うからです。

しかし、彼のやっていることを僕は全面的に擁護することはできません。確かに彼自身がYouTubeを使いこなし、自分が思うことを発信することは大変に素晴らしいことです。驚嘆に値する。

しかし、彼がやっていることは結局、上から目線で論点がズレているのです。

やむを得ない事情で学校に行きたくても行けない子が「宿題をしたくないから」「ロボットになりたくないから」という理由で学校に行っていない人間から「バカは最強やで」だの「行きたくなかった行かなくていい」だの「不登校は不幸じゃない」と言われてどう思うでしょうか。

彼は学校に行きたくても行けていない人と同じ目線を持っているようで持っていないのです。僕が元気づければ、僕が有名になるだろう人たちを目ざとく見つけて、応援しているにしかすぎないのです。

彼のやっていることには共感はできません。しかし、自分の人生を晒し、「革命家」として活動する人の人生は興味深くもあります。彼が本当に革命を起こすのか。それとも他の人間に自分の人生を肯定するための「材料」にしか過ぎなくなるのか。それを判断するにはあまりに早計でしょう。

最も読者諸君に置かれては、彼の生き方を都合よく解釈し、自分の人生の好感度を上げようとする見苦しい生き方だけはされないように注意してほしいところです。