北朝鮮

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なぜ北朝鮮はコロナウイルス感染者をゼロと言い続けるのか?

自己紹介 私は大学で北朝鮮政治について研究する大学3年生です。ブログを研究場所として用いており、これまで北朝鮮関連の記事は80本を超えています。 本当かどうか疑っているそこのあなたはここから確認してください。 今回のテーマはタイトルの通り「なぜ北朝鮮はコロナウイルス感染者をゼロと言い続けるのか?」です。 この記事は少し饒舌になるかもしれません。品質を担保するためですのでご了承ください。 問題の所在 […]

大学で北朝鮮について勉強してよかったことをお伝えします!

私は大学で北朝鮮について勉強しています。何度も言っていますからもう知っている方は多いでしょう。 日本での北朝鮮に対するイメージは散々なものです。 核、ミサイル、金正恩、黒電話、独裁… よいイメージの単語が全然出てきません。 しかも親からは「北朝鮮を勉強したって金にならないでしょ」と言われる始末。 ただでさえ北朝鮮について勉強していると言うと奇怪な目で見られるのに、こう言われてしまっては立ち上がる気 […]

金日成は金正日に殺された説を検証③〜「北朝鮮はなぜ孤立するのか」を参考に

萩原遼の極端さ 過去2回の記事では1980年代から90年代にかけての北朝鮮内部の路線対立について『北朝鮮 真実の金王朝』(萩原 遼)を用いて研究してきた。萩原は金日成と金正日が1990年前後において対立していたとの主張をしている。 萩原は二人の対立は激しく、その結果、金正日が金日成を謀殺したとの結論を下している。しかし、これが正しいのかを証明する証拠はないから、この金正日による金日成謀殺説を立証す […]

金日成は金正日に殺された説を検証②〜『北朝鮮 金王朝の真実』を参考に

前回記事⬇︎の続きになる。 萩原遼作『北朝鮮 金王朝の真実』第三章「父・金日成を謀殺する ー1990年秋から父子の路線対立が」を検討する。 1980年ごろから北朝鮮は実質の政治主体が金正日になっていた。1990年ごろになると北朝鮮の経済状態は厳しい状況にあった。この背景には社会主義国の国々が次々と倒れ、北朝鮮を取り巻く国際環境が厳しくなった。 それに加えて、国内における洪水の発生もあ […]

金日成は金正日に殺された説を検証①〜親子の路線対立はあったのか?

朝鮮民主主義人民共和国(以下、北朝鮮)は王朝国家である。専制君主国家と言ってもよい。金日成ー金正日ー金正恩と親子三代に渡る世襲制は社会主義国では前例がない。建国した1948年から金一族による事実上の独裁体制が敷かれている。北朝鮮における権力の源泉は金日成による抗日パルチザン運動から始まる「白頭山の血統」であり、その血統を受け継ぐ金一族がこそが北朝鮮の政治権力を保持するに正統性を持つ。 親子であるか […]

朝鮮半島「非核化」プロセスについて丁寧に解説

この記事では朝鮮半島の「非核化プロセス」について解説しています。昨年初めて実現した米朝首脳会談から始まったとみられる北朝鮮の「非核化プロセス」では実際に何が起きているのでしょうか。詳しく解説していきます。 非核化プロセスの始まり 2018年6月12日に開催されたシンガポール米朝共同声明にはこのように書かれています。 「トランプ大統領は北朝鮮に体制の保障を提供する約束をし、金正恩委員長は朝鮮半島の完 […]

金正日時代から金正恩時代への移行について

この記事では金正日から金正恩時代の体制移行について解説しています。金正日から金正恩への権力移行は金正日の死によって行われます。 共産主義としては異例の3代続く世襲を実現した流れを確認して、北朝鮮政治への理解度を深めましょう。 金正日の死と権力移行 2008年夏、北朝鮮の最高指導者・金正日が脳卒中で倒れます。金正日は自らの残りの人生が長くないことを悟ります。急ピッチで後継者選びが進められました。 2 […]

6者協議の開始と北朝鮮問題の混迷

この記事では、北朝鮮問題を解決するために形成された「6者協議」について解説しています。北朝鮮問題の解決が難しくなる中、周辺国は問題解決のために「6者協議」を形成します。 しかし、この6者協議は各国の利害が絡み合い、結果的には北朝鮮問題をより難しくさせてしまいます。今回はこの流れを確認して行きましょう。 6者協議の開始と停滞 北朝鮮は2003年1月にNPTから脱退を発表します。これを受けて アメリカ […]

第二次核危機と日朝平壌宣言の採択について

この記事では2000年から2010年にかけての北朝鮮を取り巻く政治状況について解説していきます。 史上初の南北首脳会談と日朝首脳会談、金正日の死など重要な出来事が相次いだ北朝鮮政治を読み解きます。 初めての南北首脳会談 1998年に就任した金大中韓国大統領は「太陽政策」と呼ばれる北朝鮮に対して融和的な政策を取っていました。就任直後から南北間の交流が活発化し、2000年3月、東西ドイツ統合の象徴の地 […]

金正日への後継と核問題について

金日成は最初から権力を保持していたわけではありませんでした。国内に多くの敵を抱えていたのです。敵を粛清し権力を固めたのは朝鮮戦争が休戦してからでした。 北朝鮮:金日成による主体思想 1955年12月28日 金日成演説 1955年12月28日に金日成は、その後の北朝鮮のイデオロギーの中心となる主体思想の源流となる重要な演説を行います。それによれば 思想活動において教条主義と形式主義を退治して、主体性 […]

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