『ゴミ清掃員の日常』を読んで「キーワーカー」の人に感謝を

『ゴミ清掃員の日常』を読んで「キーワーカー」の人に感謝を

新型コロナウイルスは僕たちに生活への目線を完全に変えてしまいました。

これまでは行きたくてしかたなかったお気に入りの飲み屋さん。会いたくてしかたなかった大学の友人たち。思いのままに行くことができた旅行。

これらすべてが「不要不急」にカテゴライズされ、僕らの生活は必要かつ緊急のことだけをしなくてはならなくなりました。

欲望を喚起して「不要不急」のものを作り出す資本主義の形が図らずも明らかになったわけです。

しかし、その一方でこの生活の中には本当に「必要緊急」のものがあるんだと感じるようにもなったと感じます。

いわゆる「キーワーカー」と呼ばれる人たちが就く職業は「必要緊急」に分類されるでしょう。

わかりやすいところで言えば、スーパーの店員さん。店員さんがいなければ、僕らは餓死してしまう。

そんな「わかりやすい」キーワーカーもいれば、僕らの目に見えない「わかりにくい」キーワーカーの人もいます。

その中の1つが表題にもあるようにゴミ清掃員でしょう。著者はお笑いコンビ・マシンガンズの滝沢さん。

滝沢さん(左)

本業がゴミ清掃員、副業がお笑い芸人という彼による漫画エッセイは本格的。

ゴミの分別の仕方からゴミ清掃員仲間とのエピソード、家族との悲劇まで社会を支えながら働く労働者の人生が優しいタッチで描かれています。

『ゴミ清掃員の日常』を読んで、改めて今回の新型コロナウイルスを通じて明らかになったキーワーカーの人たちのありがたみをまた違った角度から教えてくれました。

私が通う大学ははっきりいってエリート大学です。周りにゴミ清掃員になる人はいません。皆無。みんな一流企業に行き、ホワイトカラーの人生を送ります。

人間は自分と交わらない人の存在を消してしまう。いわゆるキーワーカーの人たちは多くの人にとって当たり前の存在になっています。

当たり前の存在とは酸素のような存在。鼻が詰まって初めて、そのありがたみがわかります。

キーワーカーの人たちも社会が困難な状況にあるからこそ、その当たり前に存在に気づくわけです。

僕らがエリートとして振る舞っている社会をどこかで酸素のように僕らを支えてくれている。

そのことに気づく時、僕らはよりエリートとしての意識を持たないといけないと心を新たにするわけです。

とりわけ「ゴミ」は生活の中で「捨てられるべき存在」としての地位を与えられています。だからこそ僕らはその存在をより消してしまおうとします。

しかし、僕らは「ゴミ」を見ず知らずの「誰か」に押し付けています。

社会とはそういうものだと言われるかもしれません。確かにそう。普段ならそれでいいかもしれない。

でもこれほどの困難な時くらいは僕らが普段、社会に「生かされている」ことに気づいてもいいんじゃないかと思うわけだ。

「不要不急」によって生活のあらゆる「無駄」が削ぎ落とされている今の状態は社会的デトックスといっても過言ではありません。

こんな時だからこそ普段は気づかない「酸素」に気づいてみてもいいのではないでしょうか。