「待ち遠しい」を使って人生を長く楽しもう

「待ち遠しい」を使って人生を長く楽しもう

1歳から20歳までの体感時間と20歳から60歳までの体感時間はほとんど同じという研究がある。

このような研究を知らなくとも私たちは歳を重ねるにつれて人生が加速度的に進んでいくことに気づく。もう2020年もあと少しで半分が終わるんだなあ。

これから歳を重ねるにつれて、どんどん時間の流れ方は速くなる。でも人生は長く味わいたい。

これからの将来「長く生きたい」という根源的な欲求を否定する時の感じ方をするだろうという事実によって少しばかりの絶望感を感じてから、思考を始めなければなるまい。

絶望感の後にあるのは、矛盾を乗り越えて、人間の根源的な欲求通りに人生を長く感じるにはどうしたらいいのかという話になってくる。

そこで考えた。「待ち遠しい」という感覚をうまく使ったらいいのではないか。

好きなアーティストのライブが1ヶ月後にある。待ち遠しい。

スタバの新作が出たんだ。早く飲み行くのが待ち遠しい。

コロナが終わったら旅行にいくんだ。待ち遠しい。

「待ち遠しい」という感覚は私たちの人生を長くさせてくれる。「待ち遠しい」をうまく使えたらきっと僕らは人生をより充実させることができるのではないか。

私たちは人生の中にいくつの楽しみを見出しているだろうか。待ち遠しい感覚をたくさん作るには適度な「楽しみ」を継続的に作っていくことが大切だ。

楽しみと言ってもささやかな楽しみからめちゃめちゃ楽しみなことまでいろいろなレベル感があるし、大抵、大きな楽しみを作ろうと思えば、かなりの経費がかかる。

かと言って、ささやかな楽しみを求めようと思っても、あまりにささやかすぎると、その楽しみはすぐに日常に溶け込んでしまう。

つまり、私たちはいかに経費をかけないでそこそこの楽しみを継続的に獲得することによって「待ち遠しい」感覚を継続的に作っていく方法を求めている。

これをどのように達成するのかはなかなか難しい問題で、今、パソコンを目の前にしてウンウン考えている。

まずは楽しみの経路を多くすることから始めてはいかがだろうか。興味の幅をたくさん持てば必然的に楽しみだと思うことは増えるはずだ。

最近、私はテラスハウスにハマってしまったのだが、おかげで自粛期間中でも配信日の月曜日がとても楽しみで待ち遠しくなった。

興味のないと決め込んでいたものに勇気を持って手を出してみると意外な発見がある。

しかし、自分は基本的に好奇心がわかなくて、楽しみを作るなんて無理です…なんて人もいるかもしれない。

そのようなマイナス思考の人に対して手を差し伸べるほど暇ではないのだが、今は自粛期間中なので少しは時間がある。

そうだな。自分の外にあるものに好奇心のわかない人は自分に目を向けるのはどうだろうか。自分という存在は基本的にみんな好きで関心があるはずだ。だから興味が湧く確率は上がると思う。

自分に目を向けたら将来、なりたい自分の姿を具体的にイメージする。英語がペラペラになるでもいいし、異性にモテまくるでもいい。理想的な自分の姿を妄想してみよう。

そうすると自分のありたい姿が「待ち遠しく」なってくる。するとその待ち遠しい自分の姿になるにはどうしたらいいかの努力が始まるはずだ。多分。

自分にも興味がない。好奇心の幅を広げるつもりもない。もう時の流れに身を任せて死んでいくだけ。しかし、人生をできるだけ長く感じて楽しみたい。そんな欲張りでワガママな人もいるかもしれない。

そのような人間を相手にしている暇はないのは前述の通りだが、そのような人は「死」について真剣に考えてみるのはどうだろうか。

「死」とはどのような天才でもどのような凡人でも等しく経験するもので、しかも誰一人としてその内実をわかっている人間はいない。そりゃそうだ。死体が口を開いて、死について語ってくれることはないから。

だからみんな「死」について考えてきても、考えてきたことが正しかったのかを証明できる人はいない。

だから死を恐れるなんてそもそもおかしいことで、誰も知らないのだから恐れようがないのだ。どうだろう。なんだか「死」について考えていると生物としての深淵を感じるようで、死を経験するのが「待ち遠しく」なってこないか。

おっと。なんだか自殺を唆しているようで大変よくないことをしてしまった。

何はともあれ、いくら人生100年時代と言っても、若さは永遠ではないし、どんどん人生は加速度的に進んでいってしまう。

その人生をできるだけ長く感じるようにするにはいかに「待ち遠しい」状態を作れるか。そこに僕らの頭の使い方が試されている。